モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』③ランボルギーニ参上!!

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 又少し競馬の話をさせて頂きます。私は5歳迄北海道の日高(様似)で育ちました。しかしサラブレットの産地とは知っていましたが、競馬には全く関心が無く、競馬に関心を持ったのは大学1年1971年(昭和46年)ヒカルイマイのダービーからです。

 本題に入ります。フェラーリ250GTOと同じ1962年発売の250GTルッソは、250GTSWBの様にレース使用は、意図しておらず、純粋ロードカーとして設計です。ルッソとは、英語で「ラグジュアリー」を意味し豪華でエレガントな車です。

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フェラーリ250GTルッソ BBR完成品

 又、フェラーリの250GT世代最後のモデルでした。仕様は、全長4、410mm、2,953cc、最高速度は、240km/hです。下の渋い色のルッソは、俳優のスティーブ・マックイーンの愛用車です。

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フェラーリ250GTルッソ スティーブ・マックイーン愛用車 BBR完成品

次は、世界のスポーツカーを牽引していたフェラーリのライバルの出現について書かせて頂きます。1963年、それはランボルギーニの登場です。1963年10月開催のトリノショーにプロトタイプカー「350GTV」を発表しました。

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ランボルギーニ 350TGV(プロトタイプ)   Look Smart完成品

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ランボルギーニ 350GTV  Supercars,net   

今ではスーパーカーの代名詞であるランボルギーニには、誕生秘話が有ります。戦後、トラクターの販売で大成功を収めたフェッルッチォ・ランボルギーニは、フェラーリのヘビーユーザーでしたが、その頃のフェラーリは、レースで使ったマシンをロードカーに作り直して販売していました。結果、性能は抜群ですが、快適性や実用性は低くランボルギーニは不満を持っていました。ある時フェラーリの総帥エンツォ・フェラーリに会い意見しましたが、軽くあしらわれた為、自分でもっと良い車を作ろうと考えてとの事です。実際、フェラーリのエンジニアを引き抜き短時間で開発。350GTVは、元フェラーリのエンジニア達が作り上げたと言えます。仕様は、60度V型12気筒DOHC、3,464ccです。※但しトリノショーブースの車にはエンジンは無です。

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イソ・リボルタ GT    NEO完成品

 次が、イソ・リボルタの参入です。独創的な設計のミニカー・イセッタで自動車業界に参入したイソ社は、創業者のレンツォ・リボルタの名前を冠した大型GTカーの製造に乗り出し発売したのが、1962年発表のイソ・リボルタGTです。エンジンは、シボレーの5,400ccエンジン、シャーシは、元フェラーリのエンジニア・ジオット・ビッザリーニ、デザインは、ベルトーネの新進気鋭のジウジアーロで上記のランボルギーニと同時期に参入し、フェラーリの牙城であったスーパーカー市場の一角に食い込みました。仕様は、全長4,800mm、V8OHV、5,359cc、300H
最高速度215km/hです。
 次が、1962年発売のマセラティ セブリングです。

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マセラティ セブリング  NEO完成品

 この車は、2ドア2+2クーペで北米のGT市場を狙っての車でした。その為、名前もアメリアのフロリダで行われるセブリング12時間レースに因み名付けられました。尚1963年発売の2シーターは、ミストラルと名付けられますが、2シーターが、偏西風の名前、2+2シーターにはサーキットの名前が付けられた様です。

仕様は全長4,470mm、3,485cc、235HP、最高速度は、235km/hで1968年の生産終了迄に446台販売されました。

※今日は、アストン・マーティンは、出て来ませんでしたが、次回はスーパースター、DB5の登場です!!

 

 

 

 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』②続フェラーリ250GTOandジャガーEタイプ

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 表題の2台は、1回では書ききれない為、今回もこの2台について書きます。

まずフェラーリ250GTOですが、1962年から1963年にかけて36台製造され、狙い通リ国際マニュファクチャラーズ選手権では1962年、63年連続してGT-Ⅲクラス(排気量2L以上)のチャンピオンを獲得しました。

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フェラーリ250GTO 1962年ルマン2位 メイクアップ特注

その中でも最も有名なGTOが、1962年のルマンで総合2位に入ったこの車です。車体はスカリエッティが製造した総アルミ製でフロント部はSWBより更に低く長くされリアデッキは、すっぱり切り落とされたいわゆる「コーダトロンカ」の形状でした。

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ファラーリ250GTO/330 1963年出走車 BBR完成品

上の車は、1963年のルマンに出走しましたが、GTOのシリーズ1の中でも変わり種でクラス優勝した330LMBと同じボディ形状ですが、中身は250GTOです。

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アストン・マーティンDP215 1963年ルマン出走車 ラクーンオート特注

ちなみに1963年は、アストン・マーティンは、DP215を出走させましたが、途中でリタイア。但しルマンで初めて時速300km/hを超えたマシンとなりました。このマシンの仕様は、全長4、420mm、3、995cc、345HPで、ルマンのユーノディエールの直線で出した319.6km/hは、今日迄、フロントエンジンカーの最高速度記録と言う事です。

翌1964年は強力なライバルシェルビー・デイトナの出現に備え250GTOに改良を加え250GTO64(シリーズⅡ)を3台増産。1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利。その後もGTクラスで勝ち続けGT-Ⅲクラスに3年連続優勝をもたらしました。※但しルマンではシェルビー・デイトナに敗れています。

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フェラーリ250GTO64 1964年ルマン出走車 BBR完成品

尚、シリーズⅠ:36台、シリーズⅡ:3台の合計39台のGTOは全て現存しており、2018年のサザビーズのオークションでは、1962年製シリーズⅠのGTOが、日本円で約53億7、000万円で落札されました。その後1963年製のGTOが、個人間取引で約76億円で売却。これが史上最高額となっています!!

 次はジャガーEタイプについて書かせて頂きます。Eタイプは、アメリカで大ヒットしたと書きましたが、アメリカではオープンタイプに人気があった様です。

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ジャガーEタイプ ロードスター 1961年 TECNOMODEL完成品

更に市販車が先行して発売されましたが、ジャガーがファクトリーとしてのレース出場に消極的になった為、レース部門の担当者は、プライベーターへの後押しと言う形でレース参戦を考えていました。結果プライベーターの車両としてその後数多くのレースに参戦しました。

 まず最初が、1962年のルマンに出走し総合4位に入賞したマシンです。

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ジャガーEタイプ 1962年 ルマン総合4位 TECNOMODEL完成品

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ジャガーEタイプ 1963年 ルマン №15 京商完成品

次が、Eタイプ ライトウエイトです。色がシルバーですが、ドイツのジャガー・ディーラーでレーシングドライバーでもあるペータ・リンドナーの依頼で製作された通称「リンドナー・クーペ」です。アルミパネルをリベット止めされています。このマシンの仕様は、全長4、455mm、3,781cc、344HPで最高速度は250km/hと言われています。

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ジャガーEタイプ ライトウエイト 1964年ルマン ラクーンオート特注

最後が、Eタイプ ロー・ドラッグ・クーペでマルコム・セイヤーが、戦闘力を高める為に空力を追求したマシンで3台作られました。

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ジャガーEタイプ ロー・ドラッグ・クーペ 1964年ルマン №17

残念ながら1964年のルマンではロー・ドラッグ・クーペもライトウエイトクーペ共に途中リタイアでクラス優勝は、総合4位のシェルビー・デイトナクーペでした。

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シェルビー・デイトナクーペ 1964年ルマン総合4位 Model Tecnica完成品

このマシンは、全長、4,267mm、4,736cc、385HP、最高速度は、307km/hと当時最強のスペックを誇っていました。

本日は、これで終わりと致します。

 

 

 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』①フェラーリ250GTOandジャガーEタイプ

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 第88回日本ダービーが終わりました。期待したバスラットレオンは、予定通り逃げるも残念ながら直線でガソリン切れで17頭立ての15着。勝ったのは、ディープインパクト産駒のシャフリヤール!ディープインパクトは、産駒が、史上最多の7回目のダービー制覇を達成!!2着は大本命のエフフォーリア。エフフォーリアの父、エピファネイア、祖父シンボリクリスエス、母方の祖父ハーツクライは共に日本ダービー2着馬でエフフォーリアもその宿命からは逃れられずでした。早くも来週から2022年のダービーに向け2歳馬の戦いが始まります。

 今日は、車の歴史上でもエポックメーキングな車が輩出した1960年代について始めたいと思います。

 1台目が、私の最も好きな車のアストン・マーティンDB4GTザガートです。この車については、もう何度か書いていますのでポイントだけに致します。

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              アストン・マーティンDB4GTザガート 伊藤達郎さんワンオフ製作品                

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同上 リアスタイル

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同上のモデル作製時に参考にして頂いた実車写真

このモデルカーは、個人のモデラー伊藤さんにお願いしてSMTSキットをベースに作製頂きました。この車の色はアストン・マーティンが、好きな方ならそれぞれに好みが違うと思います。実車より色が明るすぎるかもしれませんが、私は気に入っています。

 尚DB4GTザガートの仕様は、全長4,267mm、水冷直列6気筒DOHC、3,670cc、314HP、最高速度は247km/hと言われています。

 2台目が、1961年ジュネーブショーで発表され大評判となったジャガーEタイプです.XKシリーズに替わり開発されましたが、それ迄のCタイプやDタイプのレースでの活躍を利用する為、XKの名を使わずあえて「Eタイプ」の名称を使いました。

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ジャガーEタイプ TECNOMODEL完成品

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ジャガーEタイプ TECNOMODEL完成品

デザインは、マルコム・セイヤーによるもので、その流麗なデザインと卓越した性能、さらにライバル車よりも安価な為、大評判となり特にアメリカで大ヒットとなりました。仕様は、全長4、445mm、直列6気筒DOHC、3,781CC、268HP
、最高速度240km/hとなっています。
 本日の最後が、フェラーリ250GTOです。GTOとは(グラン・ツーリスモ・オモロゲート)の頭文字でGT選手権用として公認(ホモロゲーション)を取得したモデルと言う意味との事です。
 この車は、ジャガーEタイプと言う対抗馬の出現を受け、ジョット・ビッザリーニを中心とした実験チームが、先代のSWBの空力的弱点を改良して設計しました。

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フェラーリ250GTO ルマン出走車 アイドロン完成品

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フェラーリ250GTO タルガ・フォーリオ出走車 BBR完成品

仕様は、全長4、320mm、水冷V12気筒SOHC、2、953cc、300HP、最高速度260km/hと言われています。

 フェラーリ250GTOについては未だ未だ語り尽くせませんので次回と致します。




 

 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達(1951年~1959年)③アストンVSフェラーリ

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 明日は、いよいよ第88回日本ダービー。私は、ディープインパクトキズナの大ファンで引退後は、その仔達を応援しています。ディープインパクト亡き後、特にキズナの仔の活躍を応援しています。明日のダービーにキズナの仔が、唯1頭出走します。

 その名前は、バスラットレオン。前走は、NHKマイルカップ。3番人気で期待してましたが、なんと発走直後落馬!!名誉挽回で急遽ダービー出走となりました。  『禍福は糾える縄の如し』バスラットレオン頑張れ!!!

 最初から本題から外れましたが、1950年代最後の名車達を紹介します。
1台目が、1958年発売のアストン・マーティンDB4です。

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アストン・マーティンDB4 IXO完成品

この車は、DB2シリーズ迄のベントレー設計のエンジンからタデック・マレックが新たに設計した水冷直列6気筒の3、670ccの全軽合金製のエンジンを搭載。車体もツーリングのスーパーレッジェーラとなり243HP、最高速度225km/hの
高性能モデルとなり、後継のDB5、DB6へと続くベースとなった車です。

 2台目が、1959年に発売されたフェラーリ250GTSWBです。

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フェラーリ250GT SWB BBR完成品

 この車は、250GTツール・ド・フランスの2,600mmのホイールベースを2,400mmに短縮。SWB(ショート・ホイールベース・ベルリネッタ)と呼ばれ、車体デザインは、ピニンファリーナ、生産は、スカリエッティが担当しました。

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フェラーリ250GT SWB 1961年 実車写真 www.motorimoda.com 下記URL

https://www.motorimoda.com/2019/12/14/stirling-moss-memora/

  上の写真は、伝説のレーシングドライバースターリング・モスが、1961年のグッドウッド・ツーリスト・トロフィーで優勝した時のSWB・№7です。 

 当初TDFに代わり欧米の耐久レースで活躍、1960年より市販モデルを追加。ちなみにレース用はアルミ製、市販モデルは、スチール製との事です。仕様は、全長約4.2m、水冷60度V型12気筒SOHC、2,953ccで最高280HP、最高速度は、270km/hと言われています。
 3台目は、欧米のレースでフェラーリ250GTSWBのライバルとして本日最初に掲載のDB4を改良して発売のDB4GTです。同じく1959年登場です。

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アストン・マーティンDB4GT Spark完成品

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アストン・マーティンDB4GT 実車写真 intensive911.comより引用

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アストン・マーティンDB4GT プロトタイプ DP199 Spark完成品

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アストン・マーティンDB4GT DP199 実車写真 hiconsuption.comより引用

DB4GTは、DB4のホイールベースを5インチ(約13cm)短縮し、2シーターにした為、DB4より約85Kg軽量化された高性能版です。当時フェラーリ250GTに唯一対抗出来る英国車と言われていました。

 上の写真のプロトタイプDP199は、スターリング・モスが、シルバーストーンのレースでデビューtoウインを飾ったマシンです。

 仕様は、水冷直列6気筒DOHC、3,670cc、302HPで最高速度は、283Km/hと言われています。生産台数は、ツーリングボディが75台で、ザガートボディのスペシャルバージョンのDB4GTザガートが19台生産されました。

 今回は、アストンVSフェラーリで終わります。


 

アストン・マーティンと同時代の名車達(1951年~1959年)②

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 実は5月26日に新型コロナの第1回目のワクチン接種を受け、昨日は腕、腰の軽い痛みと体調がスッキリしない為、日課の1日1万歩の散歩を5,600歩で切り上げ昼寝をした所、夕方にはスッキリしました。今日は、体調は完全に戻りました。

 今日は、少し遡りますが、現在の911ポルシェの元祖とも言うべき356のクーペモデル356シュツットガルト、1954年製から始める事にしました。

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ポルシェ356シュットガルト MINICHAMPS完成品

 この車は、戦後グミュント工場で生産されていたPre-Aモデルの生産が、シュツットガルトに移管され車体もアルミ製からスチール製に、三角窓も廃止されたモデルで仕様は、1500タイプで全長約3.9m、1.5リットル、60HP、最高速度160km/hとなっています。

 2台目が、1957年に登場したアストン・マーティンDB2/4 MkⅢです。

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アストン・マーティンDB2/4MkⅢ Oxford完成品

この車はDB3Sに似た金網張りのシンプルなフォロントグリルや新しいダッシュボード、油圧式クラッチ装着などの改良が行われました。特にフロントグリルの形状は、最近迄のアストンに共通するアイデンティティとなっています。

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アストン。マーティンDB2/4 MkⅢ 実車写真 www.galwingmorter.comより引用

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アストン・マーティンDB2/4  SMTS完成品

仕様は、全長約4.46m、2.9リットル、162HP、最高速度は188km/hと高性能を誇り、合計551台販売されました。

 3台目が、やはり1957年発売のジャガーXKSSです。

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ジャガーXKSS  Autoart完成品

この車は、レーシングカーDタイプのロードゴーイングヴァージョンとして製作、エンジン、メカニズムは、Dタイプと全く同じで日常の使用を考慮しボディと内装に手が加えられました。外装ではフィンが取り外され助手席側にもドアが取り付けられました。

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ジャガーXKSS 実車写真

この車には因縁が有り、当初25台の生産予定でしたが、1957年2月にブラウンズレイン工場が火災となり、在庫も治具も消失した為、16台(加えてDタイプから転換の2台)しか生産されずジャガーの中でも最も希少価値の高い1台になっています。
因みにスティーブ・マックイーンも1台所有していました。

 4台目は、1956年発売のフェラーリ250GTツール・ド・フランスです。

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フェラーリ250GT TdF 1958年ツール・ド・フランス出走車 BBR完成品

 

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フェラーリ250GT Tdf ストリート BBR完成品

 この車は、250GTのコンペティションモデル(レース用)で高いチューニングが施されボディも軽量なアルミ製で、フランスのレース、ツール・ド・フランスで8年連続総合優勝の活躍が、250GTツール・ド・フランスとの呼び名が付いた理由です。

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フェラーリ250GT TdF 実車写真  genrog.jp より引用       

 この車の仕様は、水冷型12気筒SOHC、3リットル、230~280HPでデザインはピンファリーナが担当。生産台数は、94台でした。

 5台目は、1956年に発売されたマセラティA6G2000ザガートです。

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マセラティA6G2000ザガート NEO完成品

この車は、ザガートが手掛けた軽量ボディが特長で21台しか製造されませんでした。仕様は、直列6気筒DOHC、1、985cc、150HP最高時速、200km/hでミッレミリアにも出走しロードゴーイング・レーシングカーとも呼ばれました。

 最後が、マセラティ3500GTです。

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マセラティ3500GT 1956年 BBR完成品

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マセラティ3500GT 実車写真 ameblo.jpより引用

この車は、1957年のジューネーブ・モーターショーで2種のプロトタイプを初披露。その内の1台、ツーリングのデザインが採用され細部の変更を加え1957年末~1958年年明けにかけて市販を開始しました。

この車の仕様は、全長約4.7m、直列6気筒DOHC、3.5リットル、235HP、最高速度230km/hで高性能と高い品質・豪華さを両立したモデルでした。

3500GTは、販売もデザインも大成功で、この結果従来のレースシフトをやめてラグジュアリーGTカーの販売にシフトして行く起点になったモデルです。尚、1964年の生産終了迄で総生産台数は、1,983台(クーペのみで)でした。

 本日は、これ迄にします。
 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達(1951年~1959年)①

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 昨日、新型コロナの第1回目のワクチン接種を受けて来ました。接種時の痛みも無く、接種後も昨晩から肩と腰に軽い痛みが有る程度でほっとしている所です。

 今日は、1951年に発売されたランチア アウレリア B20GTより始めたいと思います。GTとはグランツーリスモの略ですが、史上初めてGTを車名に入れたのがこの車と言われておりその後数多く現れる「GTカー」のパイオニア的存在です。

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ランチア アウレリア B20GT実車写真 www.pinterest.comより引用

 この車は、全長約4.4m、V型6気筒、2リットル、80HP、最高速度165km/hと高い操縦性を持っていました。このモデルカーも残念ながら持っていません。

 次が、アストン・マーティンDB2/4です。この車は、DB2を2+2座席として後部のトランクをバックドアにしたモデルで今日のハッチバック型スポーツクーペの元祖とも言える車でも有ります。

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アストン・マーティンDB2/4実車写真 www.bridgeclassiccars.co.jpより引用

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アストン・マーティンDB2/4 1954年 Classic Vehicles完成品

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同上 バックドアの形状をご覧下さい!

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アストン・マーティンDB2/4  Spark完成品

 この車は、全長約4.3m、3リットル、140HPで最高速は、193km/hに達し、1955年のモンテカルロラリーやミッレミリアに出場したが、この頃のレース活動はレーシングモデルDB3が、中心となっていました。

 次は、ドイツの名車3台を紹介します。ライバル関係も有り同時に紹介する事にします。尚、偶然ですが、車体がシルバー、内装がレッドが3車共通です。

 1台目が、ポルシェ356スピードスターです。1954年から販売が開始されたスピードスターは、安価でスポーティな2シーター・オープンを求める北米市場の要望から生まれました。発売当初のモデルはpre-Aと呼ばれレアなモデルとなっています。

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ポルシェ356スピードスター hecomodels完成品

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ポルシェ356スピードスター 実車写真 amalgam.comより引用 

 仕様は、全長約3.95m、4気筒OHV、1.5リットル、70HPで最高速度は155km/hとレースで活躍できる高性能ぶりが受け大ヒットとなり、オーナーリストにはジェームス・ディーンや、スティーブ・マックイーンも名を連ねていました。

 2台目が、メルセデス・ベンツ300SLロードスターです。

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メルセデス・ベンツ300SLロードスター MINICHAMPS完成品

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メルセデス・ベンツ300SLロードスター Classiccar.invesetmen.com引用

ガルウイングの300SLが、超有名ですが、ガルウイングのタイプとはヘッドランプの形状が異なっています。仕様は、全長4.57m、直列4気筒、3リットル、215HPで最高速度は、クーペの260km/hに対して225km/hです。

 3台目が、300SLに対抗してBMWより1956年発売された507カブリオレです。デザインは、アルブレヒト・フォン・ゲルツが担当しています。

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BMW507 カブリオレ 1956年 MINICHAMPS完成品

この車の仕様は、V型8気筒、3.2リットル、150HPで開発費がかさみ300SL並みに高価となった為、販売不振でわずか252台の販売に終わりました。
尚、デザイナーのゲルツは、1965年発売の日産の初代シルビアの設計でも有名です。今日は、これ迄にします。

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日産 シルビア 1965年 実車写真 Wikipediaより引用





 

アストン・マーティンと戦後直ぐの名車達(1945年~50年)

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 前回は戦争前の名車を取り上げましたが、今回は戦後~1950年迄に発売された名車を取り上げます。誠に勝手ながら私の生まれたのが1951年(昭和26年)ですので生まれる前迄を一区切りと致します。

 最初に取り上げるのがイタリアのシチタリア202クーペです。この車は1947年に発表されたピンファリーナデザインの車でそれ迄の車と違ってボディとフェンダーが、一体となったデザインで戦後の車のデザインの標準を作った車です。 

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シチタリア202クーペ ピニンファリーナデザイン 1947年 by www.webcg.net

この車は、戦後の車を代表する優れたデザインとしてニューヨークの近代美術館に展示されているとの事です。実車の仕様は、全長約3.9m、4気筒1.1リットル、55HP、最高速度155km/hです。残念ながらモデルカーは、持っていません。

 次は、生産年が、前後し又、戦前のデザインを踏襲していますが、1945年登場のMGーTCです。全長は約3.5m、4気筒1.25リットル、55HP、最高速は125km/hです。やはり味の有るデザインです。

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MG-TC 1945年 VITESSE完成品

 次が、デヴィッド・ブラウンが経営権を握って最初の車として1948年の英国国際モーターショーで発表したアストン・マーティン2リッター・スポーツ(後年DB1)と呼ばれたモデルで、仕様は2リットル、90HP、最高速度は150km/hです。

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アストン・マーティンDB1 1948年 実車写真 

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アストン・マーティンDB1 1949年 ルマン№29 Pinko完成品

 生産台数は、わずか15台に過ぎませんが、日本にも1台輸入されています。

 次が、アストンのライバル(私見です)フェラーリの166MMです。元々166S と呼ばれていましたが、1948年のミッレミリアで優勝した為MMと呼ばれました。

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ファラーリ166MMベルリネッタ  ArtModel完成品

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フェラーリ 166MM 1949年 ルマン優勝車 BBRメーカー完成品

 更にフェラーリの名を高めたのが上の1949年ルマンの優勝車№22です。尚、市販車の仕様は、全長約3.6m、V型12気筒 2リットル、140HP、5段変速で最高速度は200km/hと高性能を誇りました。

 次が、ジャガーXK120です。戦前は「SSカーズ リミテッド」と呼んでいた社名を1945年「ジャガーカーズ リミテッド」に変更1948年最初に発売したのがXK120です。この名前は最高速120マイル(193km/h)を意味します。

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ジャガーXK120 実車写真

この車の仕様は、全長4.42m、DOHC6気筒、3.5リットル、160HP、最高速度193km/hで優れた性能、魅力的なデザイン、同等性能の車より安価であった為、特にアメリカ市場で大ヒットしました。

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ジャガーXK120 1950年 ルマン№15 Spark完成品

尚、XK120をベースに開発したレースカーが、ジャガ-Cタイプでルマンの優勝を果たしますが、1951年となりますので、次回と致します。

 次が、プロトタイプが、1949年のルマンに出走した後1950年4月のニューヨーク国際モーターショーで初公開されたアストン・マーティンDB2です。

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アストン・マーティンDB2 実車写真 ikipediaより引用

この車は、ベントレー設計ののDOHC直列6気筒、2.6リットルが搭載され105HP、最高速度約188Km/hと高性能で1950年のルマンではクラス優勝を遂げ、英国を代表する高性能スポーツカーとしてのブランドイメージは、この車で確立したとも言われています。

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アストン・マーティンDB2 1950年 ルマン№21 Spark完成品

※追加 大事な車を追加します。マセラティ最初のロードーカーA61500です。

やはりシチタリア、166MM、上のDB2と共通のフォルムとなっています。

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マセラティA6 1500 マセラティ最初のロードカー wikipediaより引用

以上1950年迄のご紹介でした。