モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

アストン・マーティンと同時代の名車達 番外編 日本のスポーツカーの系譜②スカイライン2000GTB&トヨタ2000GT

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又、競馬の話から始めます。五冠馬シンザン種牡馬として活躍していた当時、1974年(昭和49年)の中央競馬種牡馬ランキングではシンザンが9位。それ以外の19頭は、全て輸入種牡馬(つまり海外で競走生活の馬)ばかりでした。ちなみに首位は、宝塚記念を勝った皐月賞ハイセイコーの活躍が大きかったチャイナロックです。つまりこの時代は内国産種牡馬(日本で競走生活の馬)にとっては不毛の時代でした。

 本題に。1台目は、日産プリンススカイライン2000GTBです。それ迄国内のツーリングカーレースの王者として君臨していたプリンス・スカイラインGT1965年9月GTBを発売。日産との合併後の1966年10月にマイナーチェンジにより本格的なスポーツ走行に適したモデルに変身します。従来オプションの5台ギアボックスやレーシングタイヤの標準装備等です。

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プリンス スカイライン2000GTB 1965年9月 EBBRO完成品

仕様は、全長4,235mm、直列6気筒SOHC、1,988cc、125HP,最高速度は180km/hとなり0-400m加速は17.8秒より17秒に短縮。

 次が、50年経っても尚、そのデザイン・性能は世界に誇れるトヨタ2000GTです。この車は、トヨタ自動車ヤマハ発動機の共同開発でヤマハの生産委託によりトヨタブランドで販売された車です。1965年初めよりトヨタの開発陣がヤマハも赴き、8月には試作車の第一号が完成。高性能エンジンにはヤマハの戦時中の航空機製造の技術、内装には日本楽器の木工技術が大いに生かされ開発が進みました。
 市販前年の1966年10月1日より4日に筑波郡矢田部にてプロトタイプが国際記録樹立の為のタイムトライアルに挑戦。13の新記録を樹立した。

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スピートトタイアル車両(トヨタ2000GT・プロトタイプ)京商完成品

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トヨタ2000GT  メイクアップ完成品

発売は1967年5月発売。仕様は、全長、4175cm、直列6気筒DPHC,1,988cc、150HP,最高時速は220km/hで当時としては世界的にも最高レベルで当時の販売価格は、238万円(初任給から換算すると1,500万円~2,000万円のイメージ)の超高級車で生産台数は、337台と言われています。

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    トヨタ2000GTロードスター 映画「007は2度死ぬ」ボンドカー        メイクアップ完成品

 次が、同じく1967年5月に発売のマツダコスモスポーツ(初代)です。

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マツダコスモスポーツL10B(初代) メイクアップ完成品 

初代のコスモスポーツは、2シータークーペモデルとして発売されましたが、同時に世界初の実用・量産ロータリーエンジンマルチローター・多気筒)を搭載の車です。尚、世界初の市販されたロータリーエンジン搭載車は、NSUヴェンケル社が、発売した車ですが、完成度から量販するには課題に多い車でした。

仕様は、全長4,140mm、水冷2ローター491cc×2、110HP,最高時速185km/hで価格は148万円で前期型が343台、後期型が、833台の計1,176台が販売されました。

 以上、1967年は、「ゴールデン・エイジ」との言える年で日本のスポーツカーの歴史でもエポック・メーキングな車が輩出した年と言えます。1967年は、未だ続きます。

 

アストン・マーティンと同時代の名車達 番外編 日本のスポーツカーの系譜①

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またまたビックニュースです。女子ゴルフのメジャー大会、全米女子オープン選手権で19歳の笹尾優花選手が、日本人同士のプレイオフを制し、史上最年少で初優勝との事です。本当に時代が変わったと最近良く思います。プレッシャーは、有るでしょうに勝ち切ってしまうとは!!車についても日本国内に目を移して表題とします。

 本題に入ります。今日は、日本のスポーツカー、スポーティカーの系譜をモデルカーで紹介して行きたいと思います。時代背景を見ますと1964年(昭和39年)東京オリンピック開催。1966年に車名公募にて日産サニー発売。同年秋「プラス100ccの余裕」を訴求し、トヨタカローラ発売。1966年日産がプリンス自動車を合併。1963年第1回日本グランプリ開催。翌年の第2回で式場壮吉生沢徹のポルシェ904とスカイラインGT対決が話題になった時代でありました。

※ちなみに故式場壮吉氏は、「雨の御堂筋」、「ラブ・イズ・オーヴァー」等の歌手欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんのご主人です。

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ポルシェ904(ポルシェカレラGTS)式場壮吉氏運転車と同形車 MINICHAMPS完成品

1台目が、ホンダS600です。S500は、1963年10月に発売し、その5か月後にデビューしています。元々ホンダは、オートバイメーカーでも有り、S500,S600にはチェーン駆動と言う4輪では殆ど採用されていない駆動方式でした。

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ホンダS600 1964年3月発売 EBBRO完成品

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S600クーペ 1965年2月発売 EBBRO完成品

仕様は、全長3,300mm、直4,606cc,57HP,最高速度145km/hで愛称は「エスロク」と呼ばれその愛らしい外見でコアなファンが多かった様です。

 2台目が、日野コンテッサ1300クーペです。

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日野コンテッサ 1300クーペ 1965年4月発売 EBBRO完成品

イタリアのジョバンニ・ミケロッティのデザインでその優雅なスタイルングからイタリアのコンクールで複数年賞を受賞する程の成功作となりました。尚、コンテッサとは、イタリア語で「伯爵夫人」を意味し、名は体を表す車となっています。仕様は、全長4,150mm、直列4気筒、1,251cc、65HP,リアエンジン・リア駆動で最高時速は、140km/hです。残念ながら日野自動車は、1966年トヨタと業務提携を結び、この車が、日野ブランドとして最後の乗用車となりました。

 3台目が、トヨタ・スポーツ800です。愛称「ヨタハチ」

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トヨタスポーツ800 1965年4月発売 EBBRO完成品

大衆車パブリカのエンジンとシャーシを流用する事を前提に開発。非力なエンジンで高性能を確保する為、徹底した軽量化と空気抵抗の抑制が図られホンダS500、S600の好敵手として日本製小型スポーツカーの秀作との評価を受けています。仕様は、3,580mm、空冷水平対向2気筒OHV,790cc、最高速度155km/h.

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トヨタスポーツ800 船橋サーキット 浮谷東次郎の優勝車 EBBRO完成品

「ヨタハチ」の名勝負として伝説的に語られる1965年7月18日の船橋サーキットに於ける全日本自動車クラブ選手権レースでの生沢徹のS600との激しいバトルの末の驚異的な追い上げの上の浮谷東次郎の勝利です。

 4台目が、日産シルビアです。

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日産シルビア(初代)1965年4月発売 EBBRO完成品

ダットサン・フェアレディ(SP310)のシャーシにクリスプカット(ファッション用語で硬く、張りの有る様)の美しいデザインは、ドイツ人デザイナーのゲルトのアドバイスによるものと言われます。仕様は、全長3,985mm、直列4気筒OHV,1,595cc、90HP,最高速度165km/hと高性能と豪華な内装を誇りましたが当時としては高価(約120万円)な事も有り554台の生産でした。

 今日は、これ迄にします。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑧フェラーリ250LM&275GTB&DB6

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 ビック・ニュースです。6月5日本場イギリスの第243回英オークスディープインパクトの娘スノーフォールが、レース史上、最大着差の16馬身差での勝利!!今年10月に開催されるフランスの凱旋門賞の1番人気に浮上しました。ディープインパクトの仔の欧州のクラッシック制覇は、2012年のビューティパーラーの仏1000ギニー、2018年のサクソンウォリアーの英2000ギニー、スタディオブマンの仏ダービー、昨年のファンシーブルーの仏オークスに続き5頭目の快挙です!!

 本題に入ります。1964年のフェラーリは、フェラーリ250LM(Le Mans ル・マンの頭文字)です。この車は、先代の250GTOの戦闘力低下を補う為に生産した車でその発展的後継モデルとしてミッドシップレイアウトで1963年パリ・サロンでデビューしました。尚、2台目以降3,286ccで275LMとも言われます。

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フェラーリ250LM パリ・モーターショー出品写真 wikipediaより引用

フェラーリは、従来1気筒あたりの排気量を車名としており、250は、250cc×12気筒=3,000cc(実際は2,953cc)250LMは、32台生産されましたが、2台目以降は、3,285ccのエンジンを搭載していた為275LM(1シリンダーあたり275cc)とも呼ばれています。

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フェラーリ250LM 1968年ルマン出走車 BBR完成品

この車の仕様は、全長4,270cm、水冷V12,2,953cc(3,286cc)300HP(305HP)で翌年の1965年ルマンで総合優勝を飾っています。

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フェラーリ250LM 1965年ルマン優勝写真   www.webcg.netより引用

続いてはフェラーリ275GTBです。従来の250GT系の後継車種として開発した車ですが、それ迄市販されたフェラーリのロードカーがレースカーをベースに作られていたのに対し、最初からロードカーとして設計された為、各段に遮音・断熱等が向上しており快適に運転出来る様になったと言われています。

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フェラーリ275GTB  BBR完成品

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フェラーリ275GTB ピニン・ファリーナ個人愛用車  BBR完成品

生産台数は、約950台と言われていますが、仕様は、全長4,325cm、水冷V型12気筒、3,285cc、280HP,最高速度250km/hです。

 次は、久しぶりにアストン・マーティンです。1965年にロンドン・モーターショーで発表されたDB5の後継モデル、アストン・マーティンDB6です。 

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アストン・マーティンDB6 ラクーンオート特注(プロバンスベース)

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アストン・マーティンDB6 SMTS完成品

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同上 リアスタイル  SMTS完成品

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アストン・マーティンDB6 Spark完成品

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アストン・マーティンDB6 実車写真 b-cles.jpより引用

DB5のビックマイナーチェンジ版ですが、フロントウインドシールドがわずかに寝かされ、DP214/215で効果の確認されたカムテール(コーダトロンカ)のリアデザイン、バンバーの2分割や後部座席の居住性アップの為にファストバックの傾斜が緩やかになる等の改良が加えられた。仕様は、全長4,623cm、直列6気筒DOHC,3,995cc、286HPで最高速度は、240km/hと堂々たるグランツーリスモです。

 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑦ベンツ230SL(パゴタ・ルーフ)登場

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 初めに競馬の話題から。今日より新馬戦がスタートしました。東京5Rでは、ディープインパクトの評判馬コマンドラインが、3馬身差の快勝。中京5Rでは、キズナのライバル・エピフェネイア産駒のクラウンドマジックが、クビ差の勝利。キズナの産駒クロニクルノヴァは、6着に終わりました。残念!!

 本題に入ります。今日は、300SLに続く第二世代のSL、ベンツ230SLよりスタート致します。非常にエレガントで美しい車です。

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メルセデス・ベンツ230・280SL  MINICHAMPS完成品

この車は、1963年のジュネーブ・モーターショーで発表され販売開始されました。車の性格としてはスポーツ性の高い300SLよりもツーリングカー的な要素の強い車で4速ATやパワステも用意されていました。又「パゴタ・ルーフ」と称される屋根の中央が左右より低い形状になっていると言う特徴がありました。「パゴタ・ルーフ」とはどんな意味と思い調べてみますと建築用語で「アジアで見られる建築様式で、お寺等に於ける大きな庇の両端に行くにつれ反り上がった形状の屋根」との事です。

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奈良の法隆寺(軒反り)ww.e-and-a.jpより引用

仕様は、全長4,335mm、直列6気筒SOHC、2,308cc、150HPでしたがその走りの実力は、3Lのフェラーリ250GTにも遜色の無いものでした。

 次が、第二次世界大戦迄はブガッティやイスパノ・スイザ等の名門高級車ブランドが隆盛を誇っていましたが、戦後では非常に珍しいフランスの高級スポーツカーメーカーファセル社のファセル・ヴェガ・ファセルⅡです。

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ファセル・ヴェガ・ファセルⅡ 1963年 NEO完成品

 この車は、戦後スチールやアルミニウム、ステンレスの金属加工技術を生かしてメーカーの下請として自動車のボディ生産を行っていたファセル社ですが、主要取引先がボディを内製する事により下請仕事が無くなり、その有休設備を使い1954年より自社ブランドの高級車を生産し始めました。エンジンは、クライスラー製のV型8気筒、6,280ccのエンジンを用い、その魅力としては、フランスの超高級車の伝統を生かしたスタイリングと家具メーカーとしての技術を生かした木目調パネルや上質なインテリアに有り特にアメリカ市場である程度の成功を収めました。顧客リストには、パブロ・ピカソビートルズリンゴ・スター、俳優のトニー・カーティスがいたとの事です。仕様は、全長4,750mm、水冷V型,6,286cc,390HP,最高速度240km/hです。

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ファセル・ヴェガ・ファセルⅡ 1963年 実車写真    aucfan.comより引用

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同上 ビートルズリンゴ・スター  aucfan.comより引用

次が、1963年、元フェラーリのチーフエンジニアのジオット・ビッツァリーニにより設計され彼の会社により1964年に発売されたビッザリーニ5300ストラーダです。残念ながらこの車のモデルカーも持ってはいません。

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ビッザリーニ5300ストラーダ (イソ・グリフォA3/C) 実車写真

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ビッザリーニ・ストラーダ(イソ・グリフォA3/C)実車写真 wallpaper.comより引用

この車の仕様は、全長4,460mm、シボレーV型8気筒、5358cc、365HP,最高時速275km/hと高性能を誇りビッザリーニの最も成功したモデルです。

次が、同じくビッザリーニにより設計されたイソ・リボルタ・グリフォです。実は、上のビッザリーニ5300ストラーダは、元々イソ社でビザリーニがシャーシをボディデザインをベルトーネのチーフデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがデサインし、「グリフォA3/C」(レース用)として1963年トリノ・ショーでデビューしました。一方イソ社は、ロードバージョンの「グリフォA3/L」をグリフォGTとして1965年より発売開始しました。

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イソ・グリフォGT(イソ・グリフォA3/L)実車写真 wallpaper.comより引用

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イソ・グリフォ365GL 1968年 TECNOMODEL完成品

イソ・グリフォGTの仕様は、全長4,430mm、V8OHV,5,400cc、350HPで最高速度は、275km/hとやはり高性能を誇りました。

本日は、これ迄にします。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑥マスタング登場

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 又、初めに競馬の話を少しさせて頂きます。前回贔屓の馬でシンザンの仔スガノホマレの話をしましたが、次がシルバーランドと言う馬です。今年は桜花賞白毛(突然変異)のソダシが勝ちましたが、この馬は芦毛(黒っぽく生まれ段々白くなるケース多い)です。やはりスピードに優れ、1973年(昭和48年)秋の愛知杯で2000mの日本レコード1分59秒9を叩き出します。これが日本国内で初めて2分を切った例として名を残す事になります。

 本題に移ります。最初は、ポルシェ911(ナローポルシェ)です。

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ポルシェ911(ナローポルシェ) MINICHAMPS完成品

ポルシェ911は、1963年の発表から50年以上もポルシェのフラッグシップモデルとして生産され続けられているモデルです。当時は開発をフォルクスワーゲンとの提携関係によりVWが使用していた900番台の数字を採用。6気筒エンジン車を901として1963年のフラクフルトモーターショーで発表、1965年から販売開始しました。しかしフランスのプジョーが、2桁目に0を使用した3桁数字のネーミングを商標登録していた為、ポルシェは、901を911と名称変更しました。
 初代911は、ナローポルシェと呼ばれますが、ナロー(narrow)とは幅が狭い、タイトの意味です。これは356よりも車幅が狭かった為です。※ちなみに356の車幅は1、660mm、ナローポルシェは、1,600mmです。初代の911の仕様は、全長4,135mm、空冷・水平対向6気筒SOHC、1,991cc、130HP。

 次が、マメリカで発売以来一大ブームを巻き起こしたフォード マスタングです。

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フォードマスタング ハードトップ hecomodel完成品

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フォード マスタング ファストバック hecomodel完成品

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フォード マスタング ファストバック 実車写真 www.yk-mustang.comより引用

この車は、当時副社長であったリー・アイアコッカの指導の元、当時の第二次世界大戦後のベビーブーマー世代向けのスポーティカー の発売を狙い開発されました。1964年のニューヨーク万国博覧会の初日に発表された初代マスタングは、スポーティな外観、充分な性能、「フルチョイスシステム」と呼ばれる多彩なオプション群と巧みな広告戦略によりフォードとしてはT型モデル以来の大ヒットとなりました。これ以降、各社がこぞってスポーティカーを発売。日本でもトヨタが1970年にセリカで「フルチョイスシステム」方式を採用。その後、各社からスペシャリティカーが発売され大ブームとなりました。※アメリアでは、カマロ、チェレンジャー、日本ではコスモAP等

 この車の仕様は、全長4,612mm、水冷V型8気筒OHV、4,728cc、271HP、最高速度は200km/hでした。

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マスタング ファストバック 1968年 ブリット MINICHAMPS完成品

上のモデルカーは、1968年公開の映画「ブリット(Bullitt)」で刑事役のスティーブ・マックイーンが、敵の乗るダッチ・チャージャーとサンフランシスコ市内の急斜面でカー・チェイスをする映像が印象的な1968年型のフォード・マスタングGT390です。因みにこの車は、ガレージに過去40年間置かれたままで、昨年1月のオークションに出品され激しい入札の末、34万ドル(3億7,000万円)で落札されたとの事です。世界で最も有名なマスタングと言えそうです!!

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ブリットのマスタングGT390 レストア前 実車写真 www.autocar.jpより引用

 本日はこれ迄にします。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑤アストン・マーティンDB5ボンドカー特集

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 又、初めに競馬の話を少し。贔屓の馬を応援するのが楽しいと書きましたがその最初の馬が五冠馬シンザンの子供のスガノホマレです。スガノホマレは、4歳の(現在の3歳)7月に野平祐二騎手を背に日本短波賞(この頃残念ダービーと呼ばれていた)で後の菊花賞イシノヒカルを破り勝利。生涯5回レコードを更新したスピード馬でした。

 本題に入ります。今日は、私がモデルカーにハマったきっかけのアストン・マーティンDB5の特集にさせて頂きます。

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アストン・マーティンDB5 ラクーンオート特注(プロバンスベース)

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アストン・マーティンDB5 MINICHAMPS完成品

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アストン・マーティンDB5 SMTS完成品

 アストン・マーティンDB5は、1963年から1965年迄2年余りの間に1,023台が製造・販売されました。仕様は、全長4,570mm、直列6気筒DOHC,
3,995cc,282HP、最高速度は、240km/hで、1964年秋から高性能版のヴァンテージ仕様も設定されたが、65台の販売に留まりました。

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アストン・マーティンDB5 実車写真 uruma-news.jpより引用

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アストン・マーティンDB5 実車写真  intensive911.comより引用

 多くの皆さんが、1964年公開の映画『007ゴールドフィンガー』でアストン・マーティンと言う車の存在を知り、その中の多くが私と同じ様にそのファンになったと言われる程有名で『The Most Famous Car in the World(世界一有名なクルマ)』と称されてもいます。そこで007ゴールドフィンガーのモデルカーを紹介します。

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アストン・マーティンDB5 ゴールドフィンガー 伊藤達郎氏ワンオフ製作品

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アストン・マーティンDB5 VITESSE完成品

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アストン・マーティンDB5 ゴールドフィンガー MINICHAMPS完成品

上のDB5は、MINICHAMPSのシリーズですが、右の車は、京商のホンダS600クーペで私の中でミニDB5的な車として思い出の車なので一緒に撮影しました。

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アストン・マーティンDB5 ゴールドフィンガー 1/18AUTOArt完成品

手前左1/24ダンバリーミント 中1/43Hotwheel 右1/62トミカ

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同上 奥1/18 中1/24 手前左1/43 手前右1/62スケール

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元祖ボンド役 故ショーン・コネリーとDB5 www.virtualcarshop.jpより引用

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007 ジェームス・ボンド役 ダニエル・クレイブとM ssk1010.comより引用

映画「007」シリーズ最新作は『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』と言う題名で全米では2021年10月8日公開予定です。日本国内は未だ未定との事です。

 尚、アストン・マーティンは、007ゴールドフィンガーに起用されたDB5の復刻モデル『DB5ゴールドフィンガー・コンティニュエーション』を限定25台2020年7月より発売開始しています。アストンマーティンワークスの熟練工が、4,500時間の手作業で生産を行い、4.0リットルの自然吸気直列6気筒エンジンを搭載。290HPでボンドカー同様の装備(ギミック)をダミーで再現しています。そしてその価格はなんと1台約3億6,900万円!!

下のURLは、その復刻モデルの記事と動画です。 

response.jp

最後にモデルカーの究極と言うべき1/8スケールのボンドカーもご覧ください。 

www.youtube.com

本日は、以上と致します。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』➃アストン・マーティンDB5登場!!

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 又、最初に競馬の事を書かせて頂きます。1971年からですので競馬との付き合いは約50年、友人から馬券の収支は?と聞かれますが、ここ20年以上、殆ど馬券を買わず競馬を楽しんでいます。殆ど毎週土曜・日曜はテレビの競馬放送を見ています。

 昔、巨人の長嶋選手が、ホームランを打った翌朝、スポーツ新聞を数誌買い込み、ホームランの記事を読むのと同じで応援している馬、あるいは昔応援した馬の子供の活躍を見るのが楽しみになっています。

 本題に入リます。1963年10月トリノショーにランボルギーニのプロトタイプを出品したと言いましたが、このスカリオーネのデザインは、御大フェッルッチォ・ランボルギーニの気に入らなかった様で、早速トリノのカロッテリア・ツーリングに依頼。

 翌1964年に量産第一号車となる「350GT」が、ラインオフされました。

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ランボルギーニ350GT  Look Smart完成品

ツーリングの「十八番・おはこ」で有るスーパーレッジェーラ方式のボディでパネルは、アルミニウム合金製でした。仕様は、全長4、500mm、V型12気筒(フェラーリの12気筒への拘り)、3,497cc、270HP、最高速度は280Km/h
で2座席プラス後部に補助的に1座席を設置。生産台数は、131台とも135台とも143台とも言われています。

次は少し前後しますが、1963年に発売されたシボレーコルベットC2型、通称スティングレイ(アカエイ)です。

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シボレー コルベットC2型 スティングレイ MINICHAMPS完成品

この名前は、1959年のXPー87スティングレイ・レーサーのデザインを基礎にしてデザインされたからそう名付けられました。

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XPー87スティングレイ・レーサー Autoart完成品

C2型はクーペをメインにしており仕様は、全長4,448mm、水冷V8OHV,5,558cc、253HPで最高速度は、230Km/hです。

  次が、同じく1963年にトリノショーで発表、1964年に発売されたマセラティミストラルです。

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マセラティミストラル TECNOMODEL完成品

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マセラティミストラル MINICHAMPS完成品

フランス南東部に吹く地方風ミストラルにちなんで名付けられたこの車は、軽量かつスポーティをコンセプトに設計され、風の様な疾走感の有るくるまになる様に名図けられたと言われています。仕様は、全長4,500mm、直6気筒、3,694cc、245HP,最高速度は245km/hで955台生産されたと言われています。

 次が、1964年のACコブラ289です。

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AC コブラ 289 Marshmodel完成品

この車は、キャロル・シェルビーの提案でイギリスのAC社が、製造した車でACエースにフォード製のV8エンジンを搭載したハイパフォーマンスカーです。仕様は、全長3,848mm、重量わずか918KgでV8、4,727cc、284HP。最高速度は、240Km/h。生産はわずか300台程で希少価値で高値で取引されています。又、ルマンやGT選手権用にACシェルビーをベースにクーペ仕様が6台製作されました。この車が、シェルビー・デイトナコブラ・クーペです。

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シェルビー・デイトナコブラ・クーペ 1965GT国際選手権優勝車 Marsh完成品

仕様は、全長4,267cm、4,736cc、385HP、最高速度は288km/hでフェラーリやポルシェなどのライバルを上回る大きな成功を収めました。

 最後は、本日の主役アストン・マーティンDB5です。

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アストン・マーティンDB5 007ゴールドフィンガー HOT WHEELS完成品

今回も長くなりましたので、この車については次回特集させて頂きます。

本日はこれにて終わらせて頂きます。