又、競馬の話から始めます。五冠馬シンザンが種牡馬として活躍していた当時、1974年(昭和49年)の中央競馬の種牡馬ランキングではシンザンが9位。それ以外の19頭は、全て輸入種牡馬(つまり海外で競走生活の馬)ばかりでした。ちなみに首位は、宝塚記念を勝った皐月賞馬ハイセイコーの活躍が大きかったチャイナロックです。つまりこの時代は内国産種牡馬(日本で競走生活の馬)にとっては不毛の時代でした。
本題に。1台目は、日産プリンス・スカイライン2000GTBです。それ迄国内のツーリングカーレースの王者として君臨していたプリンス・スカイラインGT1965年9月GTBを発売。日産との合併後の1966年10月にマイナーチェンジにより本格的なスポーツ走行に適したモデルに変身します。従来オプションの5台ギアボックスやレーシングタイヤの標準装備等です。
仕様は、全長4,235mm、直列6気筒SOHC、1,988cc、125HP,最高速度は180km/hとなり0-400m加速は17.8秒より17秒に短縮。
次が、50年経っても尚、そのデザイン・性能は世界に誇れるトヨタ2000GTです。この車は、トヨタ自動車とヤマハ発動機の共同開発でヤマハの生産委託によりトヨタブランドで販売された車です。1965年初めよりトヨタの開発陣がヤマハも赴き、8月には試作車の第一号が完成。高性能エンジンにはヤマハの戦時中の航空機製造の技術、内装には日本楽器の木工技術が大いに生かされ開発が進みました。
市販前年の1966年10月1日より4日に筑波郡矢田部にてプロトタイプが国際記録樹立の為のタイムトライアルに挑戦。13の新記録を樹立した。
発売は1967年5月発売。仕様は、全長、4175cm、直列6気筒DPHC,1,988cc、150HP,最高時速は220km/hで当時としては世界的にも最高レベルで当時の販売価格は、238万円(初任給から換算すると1,500万円~2,000万円のイメージ)の超高級車で生産台数は、337台と言われています。
次が、同じく1967年5月に発売のマツダ・コスモスポーツ(初代)です。
初代のコスモスポーツは、2シータークーペモデルとして発売されましたが、同時に世界初の実用・量産ロータリーエンジンマルチローター・多気筒)を搭載の車です。尚、世界初の市販されたロータリーエンジン搭載車は、NSUヴェンケル社が、発売した車ですが、完成度から量販するには課題に多い車でした。
仕様は、全長4,140mm、水冷2ローター491cc×2、110HP,最高時速185km/hで価格は148万円で前期型が343台、後期型が、833台の計1,176台が販売されました。
以上、1967年は、「ゴールデン・エイジ」との言える年で日本のスポーツカーの歴史でもエポック・メーキングな車が輩出した年と言えます。1967年は、未だ続きます。