実は5月26日に新型コロナの第1回目のワクチン接種を受け、昨日は腕、腰の軽い痛みと体調がスッキリしない為、日課の1日1万歩の散歩を5,600歩で切り上げ昼寝をした所、夕方にはスッキリしました。今日は、体調は完全に戻りました。
今日は、少し遡りますが、現在の911ポルシェの元祖とも言うべき356のクーペモデル356シュツットガルト、1954年製から始める事にしました。
この車は、戦後グミュント工場で生産されていたPre-Aモデルの生産が、シュツットガルトに移管され車体もアルミ製からスチール製に、三角窓も廃止されたモデルで仕様は、1500タイプで全長約3.9m、1.5リットル、60HP、最高速度160km/hとなっています。
2台目が、1957年に登場したアストン・マーティンDB2/4 MkⅢです。
この車はDB3Sに似た金網張りのシンプルなフォロントグリルや新しいダッシュボード、油圧式クラッチ装着などの改良が行われました。特にフロントグリルの形状は、最近迄のアストンに共通するアイデンティティとなっています。
仕様は、全長約4.46m、2.9リットル、162HP、最高速度は188km/hと高性能を誇り、合計551台販売されました。
3台目が、やはり1957年発売のジャガーXKSSです。
この車は、レーシングカーDタイプのロードゴーイングヴァージョンとして製作、エンジン、メカニズムは、Dタイプと全く同じで日常の使用を考慮しボディと内装に手が加えられました。外装ではフィンが取り外され助手席側にもドアが取り付けられました。
この車には因縁が有り、当初25台の生産予定でしたが、1957年2月にブラウンズレイン工場が火災となり、在庫も治具も消失した為、16台(加えてDタイプから転換の2台)しか生産されずジャガーの中でも最も希少価値の高い1台になっています。
因みにスティーブ・マックイーンも1台所有していました。
4台目は、1956年発売のフェラーリ250GTツール・ド・フランスです。
この車は、250GTのコンペティションモデル(レース用)で高いチューニングが施されボディも軽量なアルミ製で、フランスのレース、ツール・ド・フランスで8年連続総合優勝の活躍が、250GTツール・ド・フランスとの呼び名が付いた理由です。
この車の仕様は、水冷型12気筒SOHC、3リットル、230~280HPでデザインはピンファリーナが担当。生産台数は、94台でした。
5台目は、1956年に発売されたマセラティA6G2000ザガートです。
この車は、ザガートが手掛けた軽量ボディが特長で21台しか製造されませんでした。仕様は、直列6気筒DOHC、1、985cc、150HP最高時速、200km/hでミッレミリアにも出走しロードゴーイング・レーシングカーとも呼ばれました。
最後が、マセラティ3500GTです。
この車は、1957年のジューネーブ・モーターショーで2種のプロトタイプを初披露。その内の1台、ツーリングのデザインが採用され細部の変更を加え1957年末~1958年年明けにかけて市販を開始しました。
この車の仕様は、全長約4.7m、直列6気筒DOHC、3.5リットル、235HP、最高速度230km/hで高性能と高い品質・豪華さを両立したモデルでした。
3500GTは、販売もデザインも大成功で、この結果従来のレースシフトをやめてラグジュアリーGTカーの販売にシフトして行く起点になったモデルです。尚、1964年の生産終了迄で総生産台数は、1,983台(クーペのみで)でした。
本日は、これ迄にします。