モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』③ランボルギーニ参上!!

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 又少し競馬の話をさせて頂きます。私は5歳迄北海道の日高(様似)で育ちました。しかしサラブレットの産地とは知っていましたが、競馬には全く関心が無く、競馬に関心を持ったのは大学1年1971年(昭和46年)ヒカルイマイのダービーからです。

 本題に入ります。フェラーリ250GTOと同じ1962年発売の250GTルッソは、250GTSWBの様にレース使用は、意図しておらず、純粋ロードカーとして設計です。ルッソとは、英語で「ラグジュアリー」を意味し豪華でエレガントな車です。

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フェラーリ250GTルッソ BBR完成品

 又、フェラーリの250GT世代最後のモデルでした。仕様は、全長4、410mm、2,953cc、最高速度は、240km/hです。下の渋い色のルッソは、俳優のスティーブ・マックイーンの愛用車です。

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フェラーリ250GTルッソ スティーブ・マックイーン愛用車 BBR完成品

次は、世界のスポーツカーを牽引していたフェラーリのライバルの出現について書かせて頂きます。1963年、それはランボルギーニの登場です。1963年10月開催のトリノショーにプロトタイプカー「350GTV」を発表しました。

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ランボルギーニ 350TGV(プロトタイプ)   Look Smart完成品

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ランボルギーニ 350GTV  Supercars,net   

今ではスーパーカーの代名詞であるランボルギーニには、誕生秘話が有ります。戦後、トラクターの販売で大成功を収めたフェッルッチォ・ランボルギーニは、フェラーリのヘビーユーザーでしたが、その頃のフェラーリは、レースで使ったマシンをロードカーに作り直して販売していました。結果、性能は抜群ですが、快適性や実用性は低くランボルギーニは不満を持っていました。ある時フェラーリの総帥エンツォ・フェラーリに会い意見しましたが、軽くあしらわれた為、自分でもっと良い車を作ろうと考えてとの事です。実際、フェラーリのエンジニアを引き抜き短時間で開発。350GTVは、元フェラーリのエンジニア達が作り上げたと言えます。仕様は、60度V型12気筒DOHC、3,464ccです。※但しトリノショーブースの車にはエンジンは無です。

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イソ・リボルタ GT    NEO完成品

 次が、イソ・リボルタの参入です。独創的な設計のミニカー・イセッタで自動車業界に参入したイソ社は、創業者のレンツォ・リボルタの名前を冠した大型GTカーの製造に乗り出し発売したのが、1962年発表のイソ・リボルタGTです。エンジンは、シボレーの5,400ccエンジン、シャーシは、元フェラーリのエンジニア・ジオット・ビッザリーニ、デザインは、ベルトーネの新進気鋭のジウジアーロで上記のランボルギーニと同時期に参入し、フェラーリの牙城であったスーパーカー市場の一角に食い込みました。仕様は、全長4,800mm、V8OHV、5,359cc、300H
最高速度215km/hです。
 次が、1962年発売のマセラティ セブリングです。

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マセラティ セブリング  NEO完成品

 この車は、2ドア2+2クーペで北米のGT市場を狙っての車でした。その為、名前もアメリアのフロリダで行われるセブリング12時間レースに因み名付けられました。尚1963年発売の2シーターは、ミストラルと名付けられますが、2シーターが、偏西風の名前、2+2シーターにはサーキットの名前が付けられた様です。

仕様は全長4,470mm、3,485cc、235HP、最高速度は、235km/hで1968年の生産終了迄に446台販売されました。

※今日は、アストン・マーティンは、出て来ませんでしたが、次回はスーパースター、DB5の登場です!!