またまたビックニュースです。女子ゴルフのメジャー大会、全米女子オープン選手権で19歳の笹尾優花選手が、日本人同士のプレイオフを制し、史上最年少で初優勝との事です。本当に時代が変わったと最近良く思います。プレッシャーは、有るでしょうに勝ち切ってしまうとは!!車についても日本国内に目を移して表題とします。
本題に入ります。今日は、日本のスポーツカー、スポーティカーの系譜をモデルカーで紹介して行きたいと思います。時代背景を見ますと1964年(昭和39年)東京オリンピック開催。1966年に車名公募にて日産サニー発売。同年秋「プラス100ccの余裕」を訴求し、トヨタカローラ発売。1966年日産がプリンス自動車を合併。1963年第1回日本グランプリ開催。翌年の第2回で式場壮吉と生沢徹のポルシェ904とスカイラインGT対決が話題になった時代でありました。
※ちなみに故式場壮吉氏は、「雨の御堂筋」、「ラブ・イズ・オーヴァー」等の歌手欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)さんのご主人です。
1台目が、ホンダS600です。S500は、1963年10月に発売し、その5か月後にデビューしています。元々ホンダは、オートバイメーカーでも有り、S500,S600にはチェーン駆動と言う4輪では殆ど採用されていない駆動方式でした。
仕様は、全長3,300mm、直4,606cc,57HP,最高速度145km/hで愛称は「エスロク」と呼ばれその愛らしい外見でコアなファンが多かった様です。
2台目が、日野コンテッサ1300クーペです。
イタリアのジョバンニ・ミケロッティのデザインでその優雅なスタイルングからイタリアのコンクールで複数年賞を受賞する程の成功作となりました。尚、コンテッサとは、イタリア語で「伯爵夫人」を意味し、名は体を表す車となっています。仕様は、全長4,150mm、直列4気筒、1,251cc、65HP,リアエンジン・リア駆動で最高時速は、140km/hです。残念ながら日野自動車は、1966年トヨタと業務提携を結び、この車が、日野ブランドとして最後の乗用車となりました。
3台目が、トヨタ・スポーツ800です。愛称「ヨタハチ」
大衆車パブリカのエンジンとシャーシを流用する事を前提に開発。非力なエンジンで高性能を確保する為、徹底した軽量化と空気抵抗の抑制が図られホンダS500、S600の好敵手として日本製小型スポーツカーの秀作との評価を受けています。仕様は、3,580mm、空冷水平対向2気筒OHV,790cc、最高速度155km/h.
「ヨタハチ」の名勝負として伝説的に語られる1965年7月18日の船橋サーキットに於ける全日本自動車クラブ選手権レースでの生沢徹のS600との激しいバトルの末の驚異的な追い上げの上の浮谷東次郎の勝利です。
4台目が、日産シルビアです。
ダットサン・フェアレディ(SP310)のシャーシにクリスプカット(ファッション用語で硬く、張りの有る様)の美しいデザインは、ドイツ人デザイナーのゲルトのアドバイスによるものと言われます。仕様は、全長3,985mm、直列4気筒OHV,1,595cc、90HP,最高速度165km/hと高性能と豪華な内装を誇りましたが当時としては高価(約120万円)な事も有り554台の生産でした。
今日は、これ迄にします。