競馬を知った頃、好きだった馬で朝日杯3歳ステークスを勝ったオンワードガイと弥生賞を勝ったメジロゲッコウと言う2頭の馬がいます。好きだった理由は、オンワードガイは、この頃珍しい内国産種牡馬オンワードゼア(天皇賞・有馬記念勝馬)の仔であった事。メジロゲッコウは、母親がメジロボサツ(その母のメジロクインはボサツを出産時に死亡、父モンタヴァルもデビュー前に死亡)。不幸の身の上の元に生まれて来て、380Kg程の小さな馬体でしたが、朝日杯3歳ステークス、4歳牝馬特別、函館記念を勝ち、現在のG1クラスのレース4勝の名牝メジロドーベルの曾祖母としてメジロの牝系の祖の1頭になりました。馬それぞれに物語有りです!!
少し長くなりましたが、本題に入ります。1台目はいすず117クーペです。
この車の名前の117は、開発コードでフローリアンのクーペ版として位置付けられ、シャーシ等は、フローリアンと共有します。又、デザインは、カロッツェリア・ギアに委託され、当時のチーフデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが担当しました。尚、ジウジアーロは、その後ギアを退社し独立、イタルデザインを立上げ、量産指導は、イタルデザインの初仕事になりました。仕様は、全長4,310mm、直列4気筒DOHC、1,817cc、140HP、最高速度は195km/hと高性能であるとともにそのデザインの完成度は高く現在でも多くの愛好家によって保有・維持されていると言われています。第1期の3年間はハンドメイドに近く生産台数は、2,458台で価格も当時としては非常に高価な172万円でした。
2台目は、いすずベレットGTRです。ベレットは、いずずの上級モデル・ベレルの小型版を意味する造語ですが、個性の強い車で特にスポーツモデルでは、日本初のディスクブレーキの採用等、様々な新機軸が取り入れられています。
又、4輪独立懸架により路面追従性の良さと鋭いハンドリングを兼ね備えていた事も有り当時の日本車では、破格の運動性能を持っており「和製アルファロメオ」との異名も取っています。仕様は、全長4,005mm、直列4気筒DOHC,1584cc、120HP,最高速度190km/hで生産台数は約1,400台と言われています。
3台目は、GT-Rと並び日産を代表するフラッグシップで日本を代表するスポーツカーとしても有名なフェアレディZです。スポーツカーとしてはポルシェ911と共に一つの車名で半世紀以上継続生産されている数少ない車種です。
この車は、欧州の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら格段に廉価であった事で、北米市場を中心に大ヒットしました。足掛け10年の長きに渡り生産され世界生産台数55万台(内国内8万台)と当時のスポーツカーとしては、空前の販売記録を樹立しました。国内ではZ,ZL,Z-432の3グレードが発売され写真のモデルカーは最上位機種で「4バブル・3キャブレター・2カムシャフト」で432と名付けられたモデルです。尚Zは、84万円、ZLは、105万円、Z432は、182万円でした。Z432の仕様は、全長4,114cm、直列6気筒DOHC,1,989cc、160HP,最高速度は210km/hと言われています。
最後が、スカイラインGT-Rの3代目(PGC10型・通称ハコスカ)です。
初代のGT-Rは、1969年2月に先代のスカイライン2000GTーBと同様に4ドアで発売されました。エンジンは、プロトタイプレーシングカーであるR380のエンジンをデ・チューン(レーシングカー用から普通自動車用に出力を下げ実用性アップ)して搭載したと言われています。正に先代通リ「羊の皮をかぶった狼」のキャッチフレーズそのまま受け継いだと言う事が出来ます。翌1970年の10月に2ドアハードトップが、発売されGT-Rは、2ドアハードトップ(KPGC10型)に集約されました。
総生産台数は、4ドアが832台、2ドアが1,197台ですが、特にサーキットでその強さを発揮し、1972年迄に49連勝を含む通算50勝を達成し、スカイライン神話を確立したと言われています。尚、日本車・旧車の月刊誌「ノスタルジックヒーロー」の人気投票でもこの初代「スカG」が、不動の一番人気の様です。
これで日本のスポーツカーの系譜は、一段落とさせて頂きます。