ヒカルイマイの勝った次の年、1972年は、ロングエース、ランドプリンス、タイティエムの3強ダービーと言われた年でした。又この年は、前年から大流行した馬インフルエンザの影響で関東地区の中央競馬が、長期中止の影響でダービーが7月に行われた為「七夕ダービー」とも呼ばれました。このダービーは、武豊騎手の父の武邦彦騎手がロングエースで勝ち日本ダービー初制覇しました。この世代には他にイシノヒカル、タニノチカラ、ヒデハヤテ等がおり「花の47年組」とも呼ばれ最強世代のひとつに数えられています。
本題に入ります。1台目はマセラティ・ギブリです。「ギブリ」とは「リビアの高地から地中海地方に吹き込む熱風」から由来します。
デザインは、カロッツェリア・ギア時代のジョルジェット・ジウジアーロの傑作と言われエッジと曲面が上手く使い分けられており、当時のライバル車、フェラーリ・デイトナやランボルギーニ・ミウラと世界最速の座を争ったマセラティのヒット作です。仕様は、全長4,590mm、V型8気筒DOHC,4,709cc、330HP,最高時速は、265km/hです。生産台数は、1,274台です。
次は、ライバルの登場です。フェラーリ365GTB/4(フェラーリ・デイトナ)です。発表は、1968年で少し年が飛びますがギブリとの対比で掲載します。
この車は、1968年のパリ自動車ショーで当時のフェラーリのフラッグシップモデルとしてデビューしました。「デイトナ」の愛称は、1967年のデイトナ24時間レースでプロトタイプの330P4と412Pが、圧倒的な強さで1-2-3フィニッシュした事によりそう呼ばれる様になりました。初期型は、上の写真の様に透明なプレクシグラス(アクリル樹脂)内に4灯式ヘッドライト内蔵でしたが、アメリカの安全基準に合わせる為、1970年にリトラクタブル式に変更されました。
この車は、ストリートカーとしてのみならず1972~74年のルマンでのGTクラス3年連続優勝等、レーシングヒストリーとしても優秀な成績を残しています。仕様は、全長4,425cm、V型12気筒DOHC,4,390cc、352HP,最高時速280km/hで総生産台数は1,406台(内スパイダーが、122台)です。
最後は、又マイナーな車を紹介します。ジェンセン・インターセプターです。
イギリスの自動車メーカー、ジェンセン・モータースから1966年に発売された車でイタリアのカロッツェリア・ツーリングの車体デザイン、クライスラー製V型8気筒エンジン、イギリス製高級車ならではの上質で豪華な仕立て、内装のグランツーリスモです。車体パネルは、イタリアのヴィニャーレ製作され、元々コーチビルダーだったジャンセン社で組み立てられた。大きなリアウィンドウは、ハッチバック式になっています。仕様は、全長4,724cm、V型8気筒OHV、6,276cc、335HP,最高速度225km/hで累計生産台数は、6,408台と言われます。
これで今回は終わりとします。次回にはアストン・マーティンDBSを掲載です。