「花の47年組」の翌年の1974年も名馬が出現しました。名前は、キタノカチドキ。父は、前年の皐月賞馬ランドプリンスの父テスコボーイで3歳時(現2歳)に阪神3歳ステークス等4戦4勝。更に年明けにもきさらぎ賞、スプリングS、皐月賞を勝ち7戦全勝で日本ダービーに出走。史上初めて単枠指定(シード制)馬となりました。ところが厩務員ストの影響もあり日本ダービーでは3着に敗退。その後菊花賞に勝ちましたが古馬になってからは大レースに勝てませんでした。そのスピードと荒々しいレースぶりに魅力が有り人気も有りましたが、4歳時は、フリーハンデでシンザンの63キロを超える64キロの評価と実力の評価されていました。
本題に移ります。1台目はアストン・マーティンDBSです。DBSは、3年間程DB6と並行販売されます。実はDBSにはカロッツェリア・ツーリング製の試作車があり、1966年のロンドン・モーターショーに出品されています。
結論から言いますと余り美しいモデルとは言えず、良かったと勝手に思っています。
デザインは、アストン社内のウィリアム・タウンズのデザインでエッジが立っており、初めて4灯式のヘドライトとモダンなデxザインとなっています。DB6より幅を160mm広げた結果、フルの4人掛シートになりました。仕様は、全長4,585mm、直列6気筒DOHC,3,995cc、286HP,最高時速は、225km/hです。生産台数は、790台でした。
2台目が、フェラーリ・ディーノ206・246GTです。フェラーリとしては初の6気筒のスポーツカーで後の8気筒フェラーリの先駆けとなったモデルです。
しばしば「フェラーリ・ディーノ」と呼ばれますが、ファラーリの「跳ね馬」エムブレムでは無く「ディーノ」のバッチが付いています。
フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に24歳で夭折したアルフレード・フェラーリ(愛称:ディーノ)が、病床でアイデアを出したと言われる65度V型6気筒エンジンを搭載し、12気筒の既存車種と区別する為に、新しく長男の愛称「ディーノ」ブランドを付けたと言われています。実質的な生産は1年間で152台生産されたと言われています。
206GTは、ボディはアルミニウム製でスカリエッティの工場で生産されましたが、2.4リットルの拡大したポルシェ911に対抗する為、1968年に2.4リットルエンジンに拡大し生産効率を上げる為にボディもステール製の246GTに移行しました。外観上の違いは余り無い様です。246GTの仕様は、全長4,290mm、65度V型6気筒,2,418cc,195HP,最高時速235km/hです。総生産台数は、3,761台と言われています。
本日の最後が、デ・トマソ・マングスタです。マングスタとはイタリア語で「マングース」の意味でシェルビー・コブラとの因縁が有るとの話も有ります。
イタリアの自動車メーカー・デ・トマソのミッドシップ2座席スポーツカーです。フォード製のV8エンジンを使用している点で、シェルビー・コブラとの共通点も有り、「蛇とマングース」天敵の命名は、エンジンの供給等でのトラブル?との噂もあります。デザインは、カロッツェリア・ギアに移籍直後のジウジアーロのデザインで野性味あふれる豪快かつ繊細なスタイルは、ジウジアーロの傑作の一つと言われています。
仕様は、全長4,275mm、OHV・V型8気筒、4,728cc、305HPで最高速度は、240Km/hで生産台数は、約400台と言われています。
本日は、ここ迄に致します。