まずキズナっ仔の結果報告。期待した馬達の結果は、2歳新馬レディベル6着、2歳未勝利アランヴェリテ2着(クビ差)、3歳未勝利リアンペスカ7着、ノアスマッシュ6着、マーチャンフェイス2着(1/2馬身差)、小倉・不知火Sグランスピード2着(クビ差)、小倉・高千穂特別オールザワールド6着、福島・安達太良Sロジータ2着(アタマ差)と8頭中、4頭が僅差の2着、4頭が着外と極端な結果になりました。いずれにしてもどの馬も無事に競走を終え良かったです!又、来週に期待します。
本題に入ります。今日の1台目は、スーパースポーツの常識を塗り替え、その後のスーパースポーツの基準を大きく引き上げた名車と言われるマクラーレン・F1です。1991年に発表し、1993年12月25日よりデリバリーされました。
マクラーレン・F1は、マクラーレンの創始者・ブルース・マクラーレンの果たせなかった「マクラーレンの名を冠したロードゴーイングカー」を具現化する事で自社の力を証明する為に開発した車です。設計はF1マシンの設計者ゴードン・マレーで開発に際してはフェラーリF40、ポルシェ959,ブガッティEB112を乗り比べこれらの車の居住性よりも性能を優先させている車造りよりホンダNSXをベンチマークに日常の扱いやすさや居住性をスポーツカーの指標としていたと言われています。実際にマレーは、NSXを所有していたとも伝わっています。※上のXP5は、先行試作車でXPとは、experimental Prototype(エクスペリメンタル・プロトタイプ)を意味し、5台製造され、各種テストやパーツの比較検討に使用された車両の1台です。
F1・GTRの公道仕様ですが、マクラーレンの企業カラーのオレンジに塗られています。何故オレンジかと言いますとブルース・マクラーレンが、自分の車をオレンジに塗っていたから、彼の出身地のニュージーランドを象徴する色だからとの事です。
マクラーレンは、この当時高級時計メーカーのタグ・ホイヤーやフランク・ミューラーと提携関係にあった様です。
この車の最大の特徴は、非凡な運動性を実現の為に重量配分に関わるレイアウトを徹底的に追及した所に有ります。ドライバーシートは、センターに置かれその左右に少し下げた形で助手席が配置。市販車では他に類を見ない独創的な3人乗りになっています。更にボディは、カーボンコンポジット材で成形された軽量モノコックボディで徹底的に金属素材をの仕様を排除した結果、総重量は、1,140kgと驚異的な軽さに仕上がっています。F1の仕様は、全長4,287mm、BMW製のV12気筒DOHC、6,064cc、636HP,最高速度390km/hと言われました。又、レース活動を行うに当たっては、BPRGTシリーズ(現FIA・GT1選手権)に参戦のアマチュアドライバーの要望に応える形でF1・GTRを供給。上のUenoClinicのマシンは、1995年J.Jレート/ヤニック・ダルマス/関谷正徳組で総合優勝のマシンです。尚生産台数は、64台と言われています。
次は、英国のベクター・モーターズにより生産されたベクター・W8です。
設計は、創設者ゼラルド・ヴィーゲルとデビット・コストカが、行い当時の最先端の航空機技術がフィードバックされ、シャーシは、アルミモノコック、ボディにはカーボンケプラーが使用されています。1988年に発表されましたが、当時のアメリカの国内法規が通らず、修正を行った結果、市販開始は1990年になってからです。仕様は、全長4,369mm、シボレー製V型8気筒OHVツインターボ、650HP,最高速度354km/hです。生産はハンドメイドで行われ資金難で生産され市販された車はわずか19台と言われています。
続いては、ドイツのBMW850iです。「世界一美しいクーペ」と評された6シリーズ(E24型)の事実上の後継モデルであり、BMWのフラッグシップモデルです。
1989年のフランクフルトモーターショーで発表され、1990年より発売されました。M1以来のリトラクタブルヘッドライトを採用し、Bピラーを持たないピラーレスハードトップです。仕様は、全長4,780mm、5リットルV12型SOHC,300HPですが、日本国内では、トランクの積載容量(ゴルフバックが積めない等)、内装等に日本人が好む価格相応の価値を提供できずライバルのベンツのSLに販売面で大きく水を開けられたそうです。
本日は、これ迄に致します。