モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

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アストン・マーティンと同時代の名車達 1990年代『1990年代後半のスーパーカー競演』①フェラーリF50、シュパン・ポルシェ962CR

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 今日のオリンピックの話題は、なんと言ってもレスリング女子の川井姉妹の金メダル獲得です。阿部兄妹の同日金メダル獲得も史上初ですが、姉妹で金メダルも夏季大会では初との事です。本当におめでとう御座います。それと空手女子形の清水選手の演技、更に空手男子形の喜友名選手の演技を初めて見ましたが、所作の美しさと気合は、見ている者に強い印象を与え、身体をシャンとさせる迫力を感じました。正に「鳥肌がたつ」です。喜友名選手は、沖縄出身で空手も沖縄発祥との事です。この金メダルで日本の47都道府県全てでオリンピックの金メダリストが誕生との事です。これも別の意味でお目出度い事と思います。

 本題に入ります。1990年の前半はイタリアvsイギリスのスーパーカー対決を掲載しましたが後半は、主にフェラーリvsドイツ(それもポルシェvsベンツ)の構図となります。まず最初が、フェラーリF50の登場です。

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フェラーリF50 1995年 BBR完成品

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フェラーリF50 bestcar.mag.comより引用

 この車は、F40と同様にフェラーリの創設50周年を記念して製作されたスーパースポーツカーです。開発コンセプトは、「公道を走るF1」で「F1のエンジンを積んだロードカーを創る」と言う考えで開発されました。その意味で快適性は劣っていましたが、反面F40以上に内装は豪華でエアコンも装備されており、当初のコンセプトとややちぐはぐなものであったとの評価も有る様です。屋根部分は、取り外してバルケッタ(オープン)にする事も出来ました。仕様は、全長4,480mm、V12気筒DOHC,4,698cc、520HPで、最高速度についてはライバルのマクラーレンF1との比較を聞かれて、発表された1995年のジュネーブショーでは、マクラーレンより遅いとの発言が、ファラーリ側からあった様です。ちなみは公称では325km/hでマクラーレンの391km/hより相当に遅い(とは言っても300km/hオーバーです!!)生産台数は、349台で当初計画のあったF50GTが、実現しなかった為、F40とは違い、殆どモータースポーツでの活躍はありませんでした。

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フェラーリF50 (バルケッタ) web.motermagazine.co.jpより引用

次が、シュパン・ポルシェ962CRです。この車はポルシェのプロトタイプレーシングカー、ポルシェ962C(グループCマシン)をベースに公道仕様車として開発されました。実はこの車は、日本と深い繋がりがあります。

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ポルシェ962C ルマン走行車 wikipediaより引用

バブル絶頂期に日本のある企業よりポルシェのワークスドライバーであったヴァーン・シュパン氏に「公道を走れるポルシェ962」が欲しいとの依頼が有り、開発されたとの事です。しかし直後にバブルが崩壊し、プロジェクトは、シュパンのスポンサーだったアート・コーポレーションが、引継ぎましたが、2億円の新車価格の高さの為、販売台数は、わずか5台(6台説も有ります)に終わった様です。

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シュパン・ポルシェ962CR Spark完成品

仕様は、全長4,280mm、空冷水平対向6気筒SOHC・ターボ、3,294cc、608HP,最高速度は、370km/hです。本日はここ迄にします。

次回は、ポルシェ911GT1VSメルセデス・ベンツCLKーGTR対決です。

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