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東京パラリンピックも昨日で終了しました。コロナ禍での無観客のオリンピック、パラリンピックの開催に賛否が有りましたが、開催して良かったと本心で思います。勝っても負けても、メダルを獲っても取らなくても多くの感動を与えてくれました。特にパラリンピックでは、今迄見た事の無い競技も多く、障害を抱えながらも全力で競技に向かう姿に自然と涙が込み上げるシーンが多く有りました。競技者とその方々を支える方々、ボランティアの皆さん、開催を支えた全ての皆さんに心から御礼を言いたいと思います。多様性の時代と言われますが、世界中で民族、性別、障害の有無を超えてお互いを尊重し合えるそんな時代が来る事を願っています。
本題に入ります。今回は趣向を変えて日本のスポーツカーの柱の一つと言うべき日産スカイラインGT-Rの成り立ちと歴代の車について書きたいと思います。『GT-R』の歴史は、ツーリングカーレースで活躍した先代プリンス・スカイライン2000GT-Bを原点としています。
2000GTーBの仕様は、全長4,255mm、直列6気筒SOHC,1,988cc、125HPで当時の価格は、89.5万円です。
1968年の第15回東京モーターショーに「スカイラインGTレーシング仕様」を発表しましが、この車はスカイライン2000GT(GC10型)の車体にプロトタイプ・スポーツカー日産R380のエンジンをベースに開発された直列6気筒DOHCエンジンを搭載したものでした。この車がほぼそのままの形で1969年(昭和44年)2月に初代GT-R(PGC10型)として発売されました。
当時スカイラインのロングノーズの2000GTは、4ドアセダンのみでしたのでGTーRも4ドアセダンで発売された為、2000GT-Bの『羊の皮を被った狼』のキャッチフレーズはそのまま受け継がれました。PGC10型の仕様は、全長4,395mm、直列6気筒DOHC、1,989cc、160HPで当時最強を誇り、スカイラインのレーシングカーイメージを決定付けたモデルで今でも高い人気です。
1970年10月ハードトップと称するホイールベースを70mm短縮の2ドアクーペが発売されGT-Rもセダンに替わりクーペの(KPGC10型)になりました。
KPGC10型は、ホイールベース短縮の効果で従来より鋭いコーカーリングが可能となりレースでの戦闘力も大幅にアップしてと言われています。仕様は、全長4,330mm、直列6気筒DOHC,1,989cc、160HPで価格は154万円です。尚、ベースのスカイライン(C10型系)のキャッチフレーズは『愛のスカイライン』でこのキャンペーン効果も有りヒット月販1万台の目標を達成しています!!因みにセダンのPGC10型は、832台、クーペのKPGC10型は1,197台販売です。
1972年9月にはスカイラインの4代目が「ケンとメリーのスカイライン」としてデビューし、大々的にキャンペーンを展開。スカイラインの名前は国民的常識のレベル迄知れ渡りました。その翌年の1973年2月にGT-Rとしては2代目のKPGC110型が発売されましたが、搭載エンジンが、1973年(昭和48年)の排出ガス規制に適合しなくなった為、わずか3カ月で生産・販売終了となりました。
仕様は、全長4,460mm、直列6気筒DOHC,160HP、163万円で生産・販売台数は、わずか197台との事です。
※実は、GT-Rの名称は、KPGC110型の生産終了から16年間封印されますが、その間にGT-Rの名前は付けられていませんが、DOHC仕様が発売されています。その話は次回と致します。
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