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※9月6日完全リニューアル実施しました。ジャガーも掲載中です!!
早速本題に入ります。1954年のルマンは、フェラーリの375プラスが総合優勝し、ジャガーの新戦力Dタイプが2位となったいます。
その翌年の1955年のルマンは、ジャガーの栄光とメルセデス・ベンツの悲劇が交錯する年となりました。優勝は、2年目のシーズンを迎えたジャガーDタイプです。
Dタイプは、直列6気筒、3,442cc、270HPで最高速度は259km/hと言われています。そして2位には我がアストン・マーティンDB3Sが入りました。
DB3Sは、直列6気筒OHC,2,992ccでワークスカーは、11台有り、市販された車は20台で合計31台生産されたと言われています。そしてベンツですが、この年は300SLRで参戦。4月のミッレミリアではスターリング・モスの運転で優勝しています。その車が下の左の車で7時22分の出発で722の番号となっています。
ルマンでは同型車が、3台出走しました。その内の1台ですがスタートして2時間半後、首位を走っていたマイク・ホーソーンのジャガーDタイプがピットに入ろうとして急に右に寄りスピードを落とした為、後続のオースチン・ヒーレーが避けようと咄嗟に左にハンドルを切った。そこにはオースチンを抜こうとしていた300SLRがおり、接触してオースチンを踏み切り台の様にして宙を飛びスタンドに激突!バラバラになった車体が大観衆のグランドスタンドに飛び込み自動車レース史上で最大・最悪の事故を起こした。結果80人以上の観客が死亡し、多数の負傷者を出す事となりました。その後もレースは続けられましたが、フォンジオ&モスの操縦の300SLRが首位を走っていた時点で首脳陣の判断でレースから撤退。優勝は、事故の発端を作ったホーソーンのDタイプが獲得したと言う非常に皮肉な結果となりました。その後30年間メルセデス・ベンツは、ルマンに参加する事はありませんでした。
その翌年の1956年も再びジャガーDタイプが優勝し、アストン・マーティンDB3Sが2位と言う結果となりました。ジャガーはXK140も参戦しました。
ジャガーのワークスカーは、3台出場しましたが、2台はクラッシュし、残りの1台も不調で最終6位でした。しかしスコットランドのプライベート・チーム、エキューリ・エコックスのDタイプで下のモスの乗るDB3Sと激しい首位争い広げ、排気量の差も有りジャガーDタイプが、前年1955年に続き連覇となりました。
XK140は、直列6気筒、3,442cc、210HPで140とは最高速度が140マイル(約225km/h)である事から名付けられました。
本日はこれ迄と致します。
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