モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

アストン・マーティンと同時代の名車達:レースカー編 『ルマンを中心に活躍したレーシングカーの系譜』➃1957~

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※9月6日完全リニューアル実施しました。ジャガーも掲載中です!!

 先週から8週間連続にG1レースが続きます。来週はいよいよ三冠馬コントレイルの最終戦ジャパンカップです。ダービー馬4頭(全てディープ産駒)の競演も初めてすが、是非コントレイルに有終の美を飾ってほしいものです。今週のキズナっ仔の期待馬を上げておきます。2歳馬が、未勝利のイーサンアイ、カフジテトラゴン、東京2歳ステークスのデリカテス(全く人気薄ですが)、日曜日の未勝利のビジン(私のペーパー馬主所有馬)、2歳特別レースのサイード新馬のスマートドラフト、3歳上ではスリートップキズナ、スーパーホープ、オールザワールド、フラーズダルム等期待馬が多く出走します。みんな頑張れ!!です。

 本題に入ります。1957年のジャガーは、市販車の開発・生産に力を集中するとの理由でワークスとしてはルマンを撤退しましたが、それ迄使用してきたマシンをエキューリ・コックス等に譲渡しセミワークス的にサポートすることになりました。そして優勝したのがエキューリ・コックスのDタイプです。これによってジャガーは、ルマン3連覇し、勝利数では5勝とベントレーと並ぶ事になりました。この車は、排気量が、3,781ccにアップされ300HPのパワーを発揮しました。

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ジャガーDタイプ 1957年ルマン優勝車 №3 Spark完成品

一方2年連続2着に甘んじていたアストン・マーティンは、その年にニュルブルクリンク1000kmで優勝のDBR1、2台で参戦して来ました。

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DBR1 1957年 ニュルブルクリンク優勝車 hecomodeles完成品

そのDBR1は、2台ともにレース中盤でリタイアとなsりました。只、2台出場していたDB3Sの内1台№21が、3リッタークラスでの1位となりました。

  1958年は、ルマンのレギュレーションが、大きく変わりました。1955年の大事故以降、1958年のミッレミリアでもドライバー、観客合わせて11名が死亡する事故が起こり、ルマンの出走車のエンジンの排気量を無制限から3リットル以下に制限されました。この変更は元々3リットル以下のアストンやフェラーリには追い風となりました。この年のルマンにフェラーリは、10台の250テスタロッサを投入(内ワークス3台)優勝したのではワークスのフェラーリ250テスタロッサです。

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フェラーリ250テスタロッサ 1958年ルマン優勝車 ロムオリジナル

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同上 リアスタイル

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同上 操縦席

250テスタロッサは、全長4,170mm、V型12気筒、2,953cc、798Kg,300HPで最高速度は、270km/hと言われています。同じくルマン出場のテスタロッサでポーンツー・フェンダーのマシンを紹介します。

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フェラーリ250テスタロッサ 1958年ルマン出走車 TecnoModel完成品

この車は、ルマンではリタイアに終わりました。因みにテスタロッサとはイタリア語で「赤い頭」を意味し他の250エンジンと区別する為に赤いカムカバーを装着していた為で、上のポーンツー・フェンダーは、フロントドラムブレーキの冷却目的でこの形状になったと言われています。今回はここ迄に致します。次回はいよいよアストン・マーティンのルマン初優勝のDBR1を紹介致します。

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