モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

メーカー別・国別レーシングカー回顧:第1章:アストン・マーティン編③

先週のキズナっ仔の結果です。秋華賞トライアルのローズステークスでは、期待のエグランタインが、7番人気で僅差の3着。2着にはディープ仔でこれ迄2戦2勝のサリエラが入り、勝ったのは1番人気、スクリーンヒーロー産駒のアートハウスでこの上位3頭が秋華賞の優先出走権を獲得しました。他では期待した2歳未勝利でショウナンアレクサ、3歳上の条件戦でシンシアウィッシュが、快勝しました。今週はいよいよこの秋期待の2戦2勝のパラレルヴィジョンが、菊花賞トライアルの神戸新聞杯に出走。同じキズナ産駒の京都新聞杯勝馬アスクワイルドモアともども上位に食い込んでほしいものです。他には産経オールカマーに2年4ヶ月ぶりに出走の重賞勝馬クルスタルブラックも無事に良い走りを期待しています。他の期待馬は2歳特別のアリスヴェリテ、3歳上のメイショウジブリ、カフジテトラゴンに期待しています。

 1956年のルマンも前年に引き続きジャガーDタイプが勝利しました。

ジャガーDタイプ 1956年ルマン優勝車 Spark完成品

このマシンは、ワークスでは無くスコットランドの名門プライベート・チームのエキューリ・エコッスのエントリーで総合優勝と5リッタークラスでも1位でした。アストン・マーティンは、DB3Sが2台と新型DBR1が1台の3台で参戦。№8が、総合2位、№9が途中リタイア、DBR1は、惜しくも24時間目に入ってからリタイア。

アストン・マーティンDB3S 1956年ルマン 2位 Spark完成品

同上 №9 Spark完成品

同上 リアスタイル

DB3Sの仕様は、全長3,910mm、ストレート6気筒OHC,2,992cc、で車両重量は、880kgと言われています。翌1957年は、ジャガーDタイプが3連覇を達成した年です。しかも5台出走のジャガーDタイプが1~4位独占でした。

ジャガーDタイプ 1957年ルマン優勝車 №3 Spark完成品

一方のアストンは、前哨戦のニュルブルクリンク1000kmで優勝したDBR1を2台とDB3Sを2台の合計4台の布陣でルマンに参戦しました。

アストンDBR1 1957年 ニュルブルクリンク優勝車 hecomodels完成品

同上 サイドビュー

同上 リアスタイル

DBR1の仕様は、全長4,026mm、直列6気筒OHC,2,492ccでした。ルマンの結果は4台ともにリタイアと満足の結果ではありませんでした。翌1958年のルマンでは1955年のルマンの大事故や1957年のルマンでの大幅なレコード更新を受けエンジンの排気量を無制限から3リッター以下に制限。この変更は元々3リッター以下だったアストンやフェラーリには問題では無かったのですが、それ迄3連覇のジャガー(3.4~3.8リッターエンジン搭載)には大影響で結果としてこの年のルマンは、フェラーリ250TRが勝利を飾り、2位にはプライベートチームのDB3Sが入ったもののワークスのDRR1の3台は全てリタイアとなりました。

フェラーリ250テスタロッサ 1958年ルマン優勝車 ロムオリジナル

同上 リアスタイル

フェラーリ250TR 1958年 ルマン出走車 TECNOMODEL完成品

上の2台のフェラーリ250TR(テスタロッサ)ですが、同じ年のルマンに出走していますが、№18は、ポーンツーフェンダーと言う形状のフロントとなっています。

 そして1959年が、何度も総合2位の苦杯を舐めて来たアストン・マーティンに取って初の総合優勝を飾った年となりました。フェラーリが250TRを6台、アストン・マーティンは、DBR1を4台出走させ両者の一騎打ちムードでしたが250TRは全てリタイアし、DBR1が1-2フィニッシュと言う理想的な形での初優勝でした。優勝ドライバーは、ロイ・サイルバドリとシェルビー・コブラで有名な若き日のキャロル・シェルビーでした。2位のDBR1のドライバーは有名なカー・ジャーナリストのポール・フレールが務めていました。

アストン・マーティンDBR1 1958年優勝車 パドック完成品

同上 サイドビュー

同上 リアスタイル

アストン・マーティンDBR1 1958年優勝車 Spark完成品

アストン・マーティンDBR1 1958年優勝車 カツツォ完成品

アストン・マーティンDBR1 サザビーズで24億6,550万円落札 実車

上の写真は、2017年の米国カルフォルニア州で開催の「RM サザビーズ」の自動車オークションでそれ迄の英国車として最高価格1955年のジャガーDタイプの2178万ドリを塗り替え2255万ドルの落札価格となったDBR1です。DBR1のルマンの優勝を持ってアストン・アーティン編は終わりとします。