モデルカー趣味の絆館〜800台の蒐集日記〜

イギリスの名車アストンマーティン他の蒐集全国行脚を毎日書いていきます

アストン・マーティンと同時代の名車達 番外編 アメリカのスポーツカーとポニーカー①コルベット

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  前回は、1974年の皐月賞勝馬キタノカチドキの話をしましたが、翌1975年も史上初が起きました。皐月賞日本ダービーの2冠をカブラヤオー桜花賞オークスの2冠をテスコガビーが勝利し、しかもその2頭の騎乗騎手が、菅原泰夫騎手でした。つまり春のクラッシック4冠を独占と言う史上初めての快挙を達成。それ以降もそんな例はありません。しかもテスコガビーは、桜花賞が大差勝(1.9秒差・1秒が6馬身差・約11馬身差)、オークスが8馬身差での勝利でした。

 本題に移ります。今日は、アメリカのスポーツカーとスポーティーカー(スペシャリティーカー・ポニーカー)に絞って書きたいと思います。初めはフォード・サンダーバードです。この車は、コルベットに対抗して1955年2シーター・ロードスターとしてデビューしました。サンダーバードの名称は、11代目2005年迄継続します。 

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フォード・サンダーバード(初代) MINICHAMPS完成品

仕様は、全長4,453mm、V型8気筒OHV,4.8リットル、193HPです。

一方初代のコルベットC1型は、1954年、サンダーバードに先駆けて発売されましたが、純粋スポーツカー的ではあっても本質的に走りを重視する車ではありません。

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シボレー コルベット(初代・C1)実車写真 www.carzy.netより引用

仕様は、全長4,249mm、直列6気筒OHV,3.8リットル、150HPとやや平凡な性能でしたが、その後GMの実験部門が、セダン用の4.3リットルV型8気筒OHVエンジンを搭載し大幅なパワーアップを図り、徐々に本格スポーツカーとして認知される様になりました。下は1961年ヘッドライト2灯⇒4灯にマイナーチェンジ

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シボレー コルベット(初代・C1)1961年 hecomodels完成品

  そして1963年に2代目C2型・コルベット・スティングレイが誕生します。この車は、レースプロト・スティングレイレーサーのスタイルを基礎に開発された為、初めてコルベット・スティングレイ(あかエイ)と命名されました。

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XP-87 スティングレイレーサー Autoart完成品

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コルベット・スヒングレイ(2代目・C2型)MINICHAMPS完成品

C2は、クーペをメインにラインアップされました。仕様は、全長4,450mm、90度V型8気筒OHV,5,354cc,380HP,最高時速は230km/hと言われヨーロッパのスポーツカーと伍しても対抗出来る性能になりました。
下の写真は、「グラン・スポーツ」と呼ばれたレーシング仕様です。

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コルベット・スティングレイ・グランスポーツ 1963年 Eagle Race完成品

 次が、3代目C3です。この車は、1968年に登場し、「コークボトル」の愛称が付きました。大胆に膨らんだ前後フェンダーとくびれたボディ中央部が、コーラのビンを連想させる為です。

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コルベット・スティングレイ(C3型) モデルカーメーカー不明

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マコシャーク(デザイン・スタディ)Autoart完成品

C3は、ビル・ミッチェルと日系人ラリー・シノダがデザイン・スタディとして設計した「マコシャーク」が原型で、そのデザインをほぼ踏襲しています。仕様は、全長4,625mm、90度V型8気筒OHV,6,996cc、441HP,最高速度約200km/hで1968年のルマンにも出走しています。

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シボレー・コルベット・スティングレイ(C3)1963年ルマン出走車 

コルベットは、その後2020年に代8代目(C8)が、初めてのミッドシップで発売され、初代の発売以来67年間も連綿と続いております。4代目以降については、改めて書きたいと思います。



 

 

 

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑫最終回ランボルギーニ・エスパーダ他

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 キズナ産駒のビィアンフェが、6月13日(日)札幌競馬の函館スプリントステークスに勝利!!これで重賞3勝目です。キズナは、種牡馬として今年の2歳馬が、3世代目ですが、種牡馬リーディングサイヤーランキング3位に付けています。なんと勝馬率(勝馬頭数/出走頭数)は、リーディング1位の父ディープインパクトを抜いています。今週の土日もアブレイズ、スマートリアン、ハンメルフェストに期待です。

 本題に入ります。数々の名車を輩出した1960年代も今回で最後となりました。最初は、アルファ・ロメオ・ティーポ33/2ストラダーレです。この車は、レーシングプロトタイプ、ティーポ33の公道ヴァージョンです。

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アルファ・ロメオ・ティーポ33(レーシングプロトタイプ)自車画像 motorz.jより引用

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アルファ・ロメオ・ティーポ33/2ストラダーレ Tecnomodels完成品

車体デザインは、フランコ・スカリオーネで性能は、レーシングカーそのままの高性能車であるとともに「世界で最も美しい車」との評価もある車です。仕様は、全長3,970mm、90度V型8気筒DOHC、1,995cc、230HP,最高時速260km/hで一説には18台生産されたとも言われていますが、カロッツェリアが、コンセプトカーにシャーシを使ったケースも有り実際の台数は不明との事です。

 2台目が、ランボルギーニ・イスレロです。

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ランボルギーニ・イスレロ MINICHAMPS完成品

この車は、400GT2+2の後を継ぎマリオ・マラッティの協力を得て、フェルッツォ・ランボルギーニ自らが、デザインを行ったと言われ、1968年のジューネーブ・ショーで発表されました。1年間、わずか225台の生産でエスパーダに2+2のモデル構成の役割を譲る事になります。仕様は、全長4,525mm、V型12気筒DOHC,3,929cc、340HP,最高速度265km/hです。

  3台目が、ランボルギーニエスパーダ(スペイン語で剣)です。

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ランボルギーニエスパーダ Look Smart完成品

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ランボルギーニエスパーダ MINICHAMPS完成品

 デザインは、有名なミウラ同様にマルチェロ・ガンディーニによるもので完全な4シーターのスーパーGTとして設計されました。ランボルギーニ最長2,650mmのホイールベースで、リアシートの後ろにはスーパーカーと思えない程のラゲッジスペース有し、エアコンやパワーウインドーを標準装備にする等、ラグジュアリー感の強い最上級の仕上りを有しており約10年間で1217台生産されました。仕様は、全長4,738mm、80度V型12気筒DOHC,3,929cc、320HP,最高速度260km/hです。

 4台目が、マセラティ・インディです。名前は、アメリカのインディ500を1939年・1940年の2年連続制した事を記念して付けられました。

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マセラティ・インディ  IXO完成品

1969年のジュネーヴ・モーターショーにて発表された4シーターモデルです。デザインは、カロッツェリア・ヴィニャーレに所属していたジョバァンニ・ミケロッティの手によるもので非常に伸びやかなラインで構成され、「大人が4人乗れる2ドアクーペ」としてまとまっており、ギブリに続いてヒットし、1,104台生産されました。仕様は、全長4,740mm、90度V型8気筒DOHC,4,136cc、290HP,最高速度250km/hです。

 次回以降、スーパーカーブームの主役たちが続々デビュー致します。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の様に名車輩出の1960年代』⑪DBS&andフェラーリ・ディーノ206・246GT

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 「花の47年組」の翌年の1974年も名馬が出現しました。名前は、キタノカチドキ。父は、前年の皐月賞ランドプリンスの父テスコボーイで3歳時(現2歳)に阪神3歳ステークス等4戦4勝。更に年明けにもきさらぎ賞スプリングS皐月賞を勝ち7戦全勝で日本ダービーに出走。史上初めて単枠指定(シード制)馬となりました。ところが厩務員ストの影響もあり日本ダービーでは3着に敗退。その後菊花賞に勝ちましたが古馬になってからは大レースに勝てませんでした。そのスピードと荒々しいレースぶりに魅力が有り人気も有りましたが、4歳時は、フリーハンデシンザンの63キロを超える64キロの評価と実力の評価されていました。

 本題に移ります。1台目はアストン・マーティンDBSです。DBSは、3年間程DB6と並行販売されます。実はDBSにはカロッツェリア・ツーリング製の試作車があり、1966年のロンドン・モーターショーに出品されています。

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アストン・マーティンDBS(トゥーリング製試作車)ABCBraianza完成品

結論から言いますと余り美しいモデルとは言えず、良かったと勝手に思っています。

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アストン・マーティンDBS  SMTS完成品

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アストン・マーティンDBS MINICHAMPS完成品

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アストン・マーティンDBS Spark完成品

デザインは、アストン社内のウィリアム・タウンズのデザインでエッジが立っており、初めて4灯式のヘドライトとモダンなデxザインとなっています。DB6より幅を160mm広げた結果、フルの4人掛シートになりました。仕様は、全長4,585mm、直列6気筒DOHC,3,995cc、286HP,最高時速は、225km/hです。生産台数は、790台でした。

 2台目が、フェラーリ・ディーノ206・246GTです。フェラーリとしては初の6気筒のスポーツカーで後の8気筒フェラーリの先駆けとなったモデルです。

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フェラーリ206GT(ディーノ206GT)実車写真

しばしば「フェラーリ・ディーノ」と呼ばれますが、ファラーリの「跳ね馬」エムブレムでは無く「ディーノ」のバッチが付いています。

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ディーノ・バッチ

フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に24歳で夭折したアルフレードフェラーリ(愛称:ディーノ)が、病床でアイデアを出したと言われる65度V型6気筒エンジンを搭載し、12気筒の既存車種と区別する為に、新しく長男の愛称「ディーノ」ブランドを付けたと言われています。実質的な生産は1年間で152台生産されたと言われています。

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フェラーリ・ディーノ246GT MRコレクション完成品

206GTは、ボディはアルミニウム製でスカリエッティの工場で生産されましたが、2.4リットルの拡大したポルシェ911に対抗する為、1968年に2.4リットルエンジンに拡大し生産効率を上げる為にボディもステール製の246GTに移行しました。外観上の違いは余り無い様です。246GTの仕様は、全長4,290mm、65度V型6気筒,2,418cc,195HP,最高時速235km/hです。総生産台数は、3,761台と言われています。
 本日の最後が、デ・トマソ・マングスタです。マングスタとはイタリア語で「マングース」の意味でシェルビー・コブラとの因縁が有るとの話も有ります。

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デ・トマス・マングスタ 実車写真

イタリアの自動車メーカー・デ・トマソミッドシップ2座席スポーツカーです。フォード製のV8エンジンを使用している点で、シェルビー・コブラとの共通点も有り、「蛇とマングース」天敵の命名は、エンジンの供給等でのトラブル?との噂もあります。デザインは、カロッツェリア・ギアに移籍直後のジウジアーロのデザインで野性味あふれる豪快かつ繊細なスタイルは、ジウジアーロの傑作の一つと言われています。
仕様は、全長4,275mm、OHV・V型8気筒、4,728cc、305HPで最高速度は、240Km/hで生産台数は、約400台と言われています。

 本日は、ここ迄に致します。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑩マセラティ・ギブリandフェラーリ・デイトナ

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 ヒカルイマイの勝った次の年、1972年は、ロングエースランドプリンス、タイティエムの3強ダービーと言われた年でした。又この年は、前年から大流行した馬インフルエンザの影響で関東地区の中央競馬が、長期中止の影響でダービーが7月に行われた為「七夕ダービー」とも呼ばれました。このダービーは、武豊騎手の父の武邦彦騎手がロングエースで勝ち日本ダービー初制覇しました。この世代には他にイシノヒカルタニノチカラ、ヒデハヤテ等がおり「花の47年組」とも呼ばれ最強世代のひとつに数えられています。

 本題に入ります。1台目はマセラティ・ギブリです。「ギブリ」とは「リビアの高地から地中海地方に吹き込む熱風」から由来します。

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マセラティ・ギブリ  BBR完成品

デザインは、カロッツェリア・ギア時代のジョルジェット・ジウジアーロの傑作と言われエッジと曲面が上手く使い分けられており、当時のライバル車、フェラーリデイトナランボルギーニミウラと世界最速の座を争ったマセラティのヒット作です。仕様は、全長4,590mm、V型8気筒DOHC,4,709cc、330HP,最高時速は、265km/hです。生産台数は、1,274台です。

 次は、ライバルの登場です。フェラーリ365GTB/4(フェラーリデイトナ)です。発表は、1968年で少し年が飛びますがギブリとの対比で掲載します。

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フェラーリ365GTB/4(前期型)実車写真

この車は、1968年のパリ自動車ショーで当時のフェラーリのフラッグシップモデルとしてデビューしました。「デイトナ」の愛称は、1967年のデイトナ24時間レースでプロトタイプの330P4と412Pが、圧倒的な強さで1-2-3フィニッシュした事によりそう呼ばれる様になりました。初期型は、上の写真の様に透明なプレクシグラス(アクリル樹脂)内に4灯式ヘッドライト内蔵でしたが、アメリカの安全基準に合わせる為、1970年にリトラクタブル式に変更されました。

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フェラーリ365GTB/4(後期型) BBR完成品

 この車は、ストリートカーとしてのみならず1972~74年のルマンでのGTクラス3年連続優勝等、レーシングヒストリーとしても優秀な成績を残しています。仕様は、全長4,425cm、V型12気筒DOHC,4,390cc、352HP,最高時速280km/hで総生産台数は1,406台(内スパイダーが、122台)です。

 最後は、又マイナーな車を紹介します。ジェンセン・インターセプターです。

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ジェンセン・インターセプター  NEO完成品

イギリスの自動車メーカー、ジェンセン・モータースから1966年に発売された車でイタリアのカロッツェリア・ツーリングの車体デザイン、クライスラー製V型8気筒エンジン、イギリス製高級車ならではの上質で豪華な仕立て、内装のグランツーリスモです。車体パネルは、イタリアのヴィニャーレ製作され、元々コーチビルダーだったジャンセン社で組み立てられた。大きなリアウィンドウは、ハッチバック式になっています。仕様は、全長4,724cm、V型8気筒OHV、6,276cc、335HP,最高速度225km/hで累計生産台数は、6,408台と言われます。

 これで今回は終わりとします。次回にはアストン・マーティンDBSを掲載です。

アストン・マーティンと同時代の名車達 『綺羅、星の如く名車輩出の1960年代』⑨フェラーリ330GTC&ランボリギーニ・ミウラ・イオタ

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 ハイセイコーと言う名前の馬がいた事を覚えている方は、多いと思います。第一次競馬ブームの立役者になり社会現象にもなった程の国民的アイドルホースです。3歳時(現在の2歳時)公営競馬の大井で6連勝(いずれも大差勝)して中央競馬に移籍。1973年3月の中山競馬場弥生賞で中央初戦を迎えました。一目見ようと観客は12万人以上。かく言う私もその一人でした。弥生賞を勝ちその後皐月賞を含め通算10連勝で日本ダービーに大本命で出走。最後の直線でタケホープイチフジイサミに抜かれた時の競馬場、TVの前のなんとも言えない雰囲気(負けるはずの無い馬が負けた!)は今でも記憶に残っている程、強烈でした。「競馬に絶対は無い」正に至言です。

 本題に入ります。1台目はややマイナーな車から始めます。ACコブラで知られるAC社が、コブラ427のシャーシにイタリアのピエトロ・フルアのボディを架装したAC428フルア・クーペです。1965年のロンドン・ショーで発表し、66年より販売しました。同じフルアのデザインのマセラティミストラルと似たフォルムです。

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AC428フルア・クーペ NEO完成品

仕様は、全長4,470cm、フォード製V型8気筒OHV,6,990cc、345HP、最高速度240km/hでフェラーリやアストンとも匹敵する高性能で豪華な車でしたがDB6より高価であった為わずか81台(クーペ49台、コンバーチブル29台、他3台)の生産台数でした。

 2台目が、マセラティ・メキシコです。この車は1965年のトリノモーターショーにて発表。デザインは、カロッツェリア・ヴィニャーレのジョヴァンニ・ミケロッティの作品です。ショーでの評判が、良く1966年のパリモーターショーで生産モデルを披露して販売開始されました。

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マセラティ・メキシコ NEO完成品

非常に優雅で伸びやかなボディラインで内装も総革張りと豪華でラグジュアリー志向の強い車です。(エアコン・パワーウィンドウ、ディスクブレーキが標準装備)仕様は、全長4,760cm、V型8気筒DOHC,4,719cc、290HP,最高速度は、255km/hで生産台数は、482台でした。

 3台めが、フェラーリ330GTCです。1966年のジュネーヴモーターショーで発表された車でデザインは、ピニンフェリーナです。

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フェラーリ330GTC BBR完成品

 この車はご覧頂いた様にシンプルでしかも非常に美しいデザインの車で、しかもフェラーリとしては初めてカーラジオの音楽を楽しめると言われた程、静粛性にも優れていたと言われており、クーペが、約600台、スパイダー(GTS)が約100台生産されました。仕様は、全長4,400mm、V型12気筒SOHC,3,967cc、300HP,最高速度は、245km/hとなっています。

 本日の最後が、名車中の名車と言われるランボルギーニミウラP400です!!

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ランボルギーニ ミウラS 1968年 MRコレクション完成品

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同上 リアスタイル

 ミウラは、1965年11月のトリノショーでV型12気筒エンジンをミッドシップに積んだベア(裸)シャーシを展示。更に1966年3月のジュネーヴショーでカロッツェリアベルトーネマルチェロ・ガンディーニによる流麗なスタイリングが、注目の的になり、100台を超えるオーダーが殺到しました。仕様は、全長4,360mm、V型12気筒DOHC,3,929cc、350HP,最高時速293km/hでP400,P400S,P400SV合計の生産台数は、約750台でした。

 追伸 ミウラから派生した車で「幻の車」と言われる車が有ります。それがランボルギーニ・イオタ(Jota)です。

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ランボリギーニ・イオタ MRコレクション完成品

オリジナルのイオタは、当時走行実験を担当していたボブ・ウォレスの指揮の元、実験車両として競技規定・付則J項(車両規定項目)の「プロトタイプ・スポーツカー」の車両規則を満たしながら製造された車でした。このオリジナルは、3万kmの走行実験を行った後、売却されたが、売却先での高速テスト中に横転し車両火災を起こし廃車となりました。売却前に工場でイオタオリジナルを見た顧客から要望が有り、ランボルギーニは、ミウラを元にイオタのレプリカを製造し、SVJの名で生産証明が発行されたとの事です。この台数は、7台とも10台とも言われています。イオタのスペックは、全長4,390mm、440HPと言われています。

 以上で本日は終わりとさせて頂きます。

アストン・マーティンと同時代の名車達 番外編 日本のスポーツカーの系譜➃いすず117クーペ&ベレット1600GTR、スカイラインGTR

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 競馬を知った頃、好きだった馬で朝日杯3歳ステークスを勝ったオンワードガイと弥生賞を勝ったメジロゲッコウと言う2頭の馬がいます。好きだった理由は、オンワードガイは、この頃珍しい内国産種牡馬オンワードゼア(天皇賞有馬記念勝馬)の仔であった事。メジロゲッコウは、母親がメジロボサツ(その母のメジロクインはボサツを出産時に死亡、父モンタヴァルもデビュー前に死亡)。不幸の身の上の元に生まれて来て、380Kg程の小さな馬体でしたが、朝日杯3歳ステークス、4歳牝馬特別、函館記念を勝ち、現在のG1クラスのレース4勝の名牝メジロドーベルの曾祖母としてメジロの牝系の祖の1頭になりました。馬それぞれに物語有りです!!

 少し長くなりましたが、本題に入ります。1台目はいすず117クーペです。

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いすず117クーペ 1968年12月発売 EBBRO完成品

この車の名前の117は、開発コードでフローリアンのクーペ版として位置付けられ、シャーシ等は、フローリアンと共有します。又、デザインは、カロッツェリア・ギアに委託され、当時のチーフデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが担当しました。尚、ジウジアーロは、その後ギアを退社し独立、イタルデザインを立上げ、量産指導は、イタルデザインの初仕事になりました。仕様は、全長4,310mm、直列4気筒DOHC、1,817cc、140HP、最高速度は195km/hと高性能であるとともにそのデザインの完成度は高く現在でも多くの愛好家によって保有・維持されていると言われています。第1期の3年間はハンドメイドに近く生産台数は、2,458台で価格も当時としては非常に高価な172万円でした。

 2台目は、いすずベレットGTRです。ベレットは、いずずの上級モデル・ベレルの小型版を意味する造語ですが、個性の強い車で特にスポーツモデルでは、日本初のディスクブレーキの採用等、様々な新機軸が取り入れられています。

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いすず・ベレットGTR(前期型)1969年9月発売 EBBRO完成品

又、4輪独立懸架により路面追従性の良さと鋭いハンドリングを兼ね備えていた事も有り当時の日本車では、破格の運動性能を持っており「和製アルファロメオ」との異名も取っています。仕様は、全長4,005mm、直列4気筒DOHC,1584cc、120HP,最高速度190km/hで生産台数は約1,400台と言われています。

 3台目は、GT-Rと並び日産を代表するフラッグシップで日本を代表するスポーツカーとしても有名なフェアレディZです。スポーツカーとしてはポルシェ911と共に一つの車名で半世紀以上継続生産されている数少ない車種です。 

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フェアレディZ432(初代フェアレディ 最上位機種)EBBRO完成品

 この車は、欧州の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら格段に廉価であった事で、北米市場を中心に大ヒットしました。足掛け10年の長きに渡り生産され世界生産台数55万台(内国内8万台)と当時のスポーツカーとしては、空前の販売記録を樹立しました。国内ではZ,ZL,Z-432の3グレードが発売され写真のモデルカーは最上位機種で「4バブル・3キャブレター・2カムシャフト」で432と名付けられたモデルです。尚Zは、84万円、ZLは、105万円、Z432は、182万円でした。Z432の仕様は、全長4,114cm、直列6気筒DOHC,1,989cc、160HP,最高速度は210km/hと言われています。

 最後が、スカイラインGT-Rの3代目(PGC10型・通称ハコスカ)です。

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スカイラインGTーR 初代・前期(PGC10型) Nosweb.jpより引用

 初代のGT-Rは、1969年2月に先代のスカイライン2000GTーBと同様に4ドアで発売されました。エンジンは、プロトタイプレーシングカーであるR380のエンジンをデ・チューン(レーシングカー用から普通自動車用に出力を下げ実用性アップ)して搭載したと言われています。正に先代通リ「羊の皮をかぶった狼」のキャッチフレーズそのまま受け継いだと言う事が出来ます。翌1970年の10月に2ドアハードトップが、発売されGT-Rは、2ドアハードトップ(KPGC10型)に集約されました。

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スカイラインGTーR 初代・後期(KPGC10型) EBBRO完成品

総生産台数は、4ドアが832台、2ドアが1,197台ですが、特にサーキットでその強さを発揮し、1972年迄に49連勝を含む通算50勝を達成し、スカイライン神話を確立したと言われています。尚、日本車・旧車の月刊誌「ノスタルジックヒーロー」の人気投票でもこの初代「スカG」が、不動の一番人気の様です。

これで日本のスポーツカーの系譜は、一段落とさせて頂きます。 

アストン・マーティンと同時代の名車達 番外編 日本のスポーツカーの系譜③プリンスR380&コロナ1600GT&ブルーバードSSS

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 1971年競馬を覚えた当時人気のあった馬にアカネテンリュウと言う馬がいました。1969年の菊花賞馬でその年と翌年の2回連続、有馬記念スピードシンボリの2着だった馬です。菊花賞のビデオを見ると直線何度もよれながら(斜行)ぐんぐん伸びて楽勝すると言う破天荒なレースぶりでその荒々しさが人気の秘密でもありました。

 本題に入ります。1台目は、プリンスR380(後のニッサンR380)です。1964年の第2回日本グランプリに向けプリンス自工は、スカイラインのノーズを延長し、グロリア用SOHC直列6気筒2リットルエンジンを搭載。スカイラインGTを開発した。結果GTⅡクラスで2~6位を独占したものの優勝は、ポルシェ904にさらわれた。プリンスでは、桜井眞一郎を中心に雪辱を期してに日本初のプロトタイプレーシングカーの開発に取り掛かった。第3回の日本グランプリは、鈴鹿サーキットとJAFのゴタゴタで1966年に延期。その為、1965年秋に完成したプロトタイプを矢田部のコースで世界スピード記録に挑戦しました。

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プリンスR380 スピード記録 トライアル車両 EBBRO完成品

60周の200マイル記録に挑戦しましたが、惜しくも52週でタイヤがパンク。記録達成を逃しました。非公認ですが、途中計時では234km/hと世界記録は上回っていました。年が明けた1966年の5月、第3回日本グランプリが、開幕。今回のR380のライバルも、同じポルシェも今度は滝進一郎のポルシェ906(カレラ6)。

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プリンスR380A-Ⅰ 第3回日本グランプリ優勝車 EBBRO完成品

仕様は、全長3,930cm、直6気筒、1,996cc、200HP。

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プリンスR380A-Ⅰ 第3回日本グランプリ2位 EBBRO完成品

ライバルは、ポルシェ以外にトヨタ2000GT、ジャガーXKE,デイトナコブラ錚々たる車が相手でしたが、優勝は砂子儀一運転の№11,2位が、№10、3位にトヨタ2000GTが、入り滝進一郎のポルシェは、42周目でコースアウト、クラッシュでリタイアしました。

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ポルシェ906(カレラ6)日本グランプリ出走と同形車 

このレースでプリンスの技術が、世界レベルで有る事を証明しましたが、その搭載エンジンは、その後、無敵にスカイラインGTRを生み出し、フェアレディZ432の心臓となり、内外のサーキットを荒らし回る事になります。

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スカイラインGTBとR380A-Ⅱ 実車写真

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ニッサンR380A-Ⅱ スピードトライアル車両 EBBRO完成品

1967年には、ボディスタイルを刷新したR380A-Ⅱとなり10月に矢田部のコースで7つの世界速度新記録を樹立する事になります。

 続いてストリートカーの名車を2台、紹介します。

最初が、トヨタコロナ1600GTです。1967年8月発売されました。

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トヨタコロナ1600GT EBBRO完成品

この車は、5月に発売の2000GTの弟分の位置付けでコロナ2ドアハードトップを補強し、更にサスペンションやブレーキを強化しています。ヤマハのエンジンを搭載。

仕様は、全長4,125cm、直列4気筒DOHC,1,587cc、110HP,最高速度175km/hで1968年の日本グランプリではスカイライン2000GTBを破るなどツーリングカーレースを席巻しました。

 2台目が、コロナのライバル(BC戦争)であるブルーバードSSS(スーパー・スポーツ・セダン)です。コロナと同じく1967年8月に発売されました。

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ブルーバード(510型系) 1600SSS(4ドアセダン) EBBRO完成品

この車は、「スーパーソニックライン」と称する直線的で彫の深いシャープなデザインが特徴で、フロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省かれました。仕様は、全長4,095cm、直列4気筒SOHC,100HPで日産として初めて四輪独立懸架を採用。1970年の東アフリカサファリラリーの総合優勝を遂げる等、先進性とタフネフさを兼ね備えた車として国内のみならず北米でもヒット。アメリカで初めてヒットした日本車となりました。

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ブルーバード 1600クーペ EBBRO完成品

1968年11月コロナハードトップに対抗して2ドアクーペを追加発売しました。

以上、1966年~1967年にかけては日本のスポーツカーの歴史上でもエポックメーキングな名車が輩出しました。次回は、フェアレディZ432、ベレット1600GTR,スカイラインGTRを紹介して一段落と致します。