表題の2台は、1回では書ききれない為、今回もこの2台について書きます。
まずフェラーリ250GTOですが、1962年から1963年にかけて36台製造され、狙い通リ国際マニュファクチャラーズ選手権では1962年、63年連続してGT-Ⅲクラス(排気量2L以上)のチャンピオンを獲得しました。
その中でも最も有名なGTOが、1962年のルマンで総合2位に入ったこの車です。車体はスカリエッティが製造した総アルミ製でフロント部はSWBより更に低く長くされリアデッキは、すっぱり切り落とされたいわゆる「コーダトロンカ」の形状でした。
上の車は、1963年のルマンに出走しましたが、GTOのシリーズ1の中でも変わり種でクラス優勝した330LMBと同じボディ形状ですが、中身は250GTOです。
ちなみに1963年は、アストン・マーティンは、DP215を出走させましたが、途中でリタイア。但しルマンで初めて時速300km/hを超えたマシンとなりました。このマシンの仕様は、全長4、420mm、3、995cc、345HPで、ルマンのユーノディエールの直線で出した319.6km/hは、今日迄、フロントエンジンカーの最高速度記録と言う事です。
翌1964年は強力なライバルシェルビー・デイトナの出現に備え250GTOに改良を加え250GTO64(シリーズⅡ)を3台増産。1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利。その後もGTクラスで勝ち続けGT-Ⅲクラスに3年連続優勝をもたらしました。※但しルマンではシェルビー・デイトナに敗れています。
尚、シリーズⅠ:36台、シリーズⅡ:3台の合計39台のGTOは全て現存しており、2018年のサザビーズのオークションでは、1962年製シリーズⅠのGTOが、日本円で約53億7、000万円で落札されました。その後1963年製のGTOが、個人間取引で約76億円で売却。これが史上最高額となっています!!
次はジャガーEタイプについて書かせて頂きます。Eタイプは、アメリカで大ヒットしたと書きましたが、アメリカではオープンタイプに人気があった様です。
更に市販車が先行して発売されましたが、ジャガーがファクトリーとしてのレース出場に消極的になった為、レース部門の担当者は、プライベーターへの後押しと言う形でレース参戦を考えていました。結果プライベーターの車両としてその後数多くのレースに参戦しました。
まず最初が、1962年のルマンに出走し総合4位に入賞したマシンです。
次が、Eタイプ ライトウエイトです。色がシルバーですが、ドイツのジャガー・ディーラーでレーシングドライバーでもあるペータ・リンドナーの依頼で製作された通称「リンドナー・クーペ」です。アルミパネルをリベット止めされています。このマシンの仕様は、全長4、455mm、3,781cc、344HPで最高速度は250km/hと言われています。
最後が、Eタイプ ロー・ドラッグ・クーペでマルコム・セイヤーが、戦闘力を高める為に空力を追求したマシンで3台作られました。
残念ながら1964年のルマンではロー・ドラッグ・クーペもライトウエイトクーペ共に途中リタイアでクラス優勝は、総合4位のシェルビー・デイトナクーペでした。
このマシンは、全長、4,267mm、4,736cc、385HP、最高速度は、307km/hと当時最強のスペックを誇っていました。
本日は、これで終わりと致します。